徒然草

徒然草

徒然草 肩幅オバケと服作り

高校生のとき、肩幅オバケというニックネームがついた。肩の広い体格に悩んでいたわたしも、そんなニックネームがついたとき、正直言われたくないなーと思いつつも、言われることで楽しんでた自分もいて、次第に「肩幅オバケだから…」という会話も自分から吹っかけていたのは事実だ。(関西生まれ)

肩幅オバケの理由は、ガタイがいいということだ。特に悩んでいたのは、服の悩みだ。

華奢な女の子が近くにいた環境の中で、鏡に映る女の子が理想とする女の子でないことに、コンプレックスを抱いていた。

左肩から右肩への一片が人より長え。肩から腕にかけてのモリッとする山がデケェ。

そんなこと思いながらも特に力拳を作ったとてぷにぷにの力拳ができて、大きいだけは際立っていた。ただの脂肪だったことは今になってわかる。

 

話は変わるが、うちの高校は私服だった。みんな制服を自分なりにカスタマイズしていた。わたしは腰スカ(腰パンのスカート版)×シャツ首まで締める、を制服の教科書に載せてたもんで、そうしてた。他校でお付き合いしていた彼もそんなのが好きだったのは、余談である。

私服だったから、部活がなければ放課後服を買いに行った。部活がなければセールに参戦した。部活が無くても古着屋で安い服を買い求めた。好きなブランドとかは特に無く、あくまでも「服を買うこと」執着したのだ。

何故か?肩幅オバケに合う服は「奇跡」だと思っていたからだ。

今でこそ、ふくのかな女性のアパレルは、たくさんある。ふくよかなことを前提にした服だ。その時は肩幅オバケ向けのものは無かった。だから古着屋は楽しかったのだ。既定の女の子と違って、肩幅オバケに対応する服があったからだ。そんなこと思いながら、好きなお洋服を探しに探した。探せたのだ。

 

そんなことを繰り返し、我に変える。服って何だろ?服って個性を隠すものなのか。違う、違う、違う。きっと違う。服って殺すものじゃない。活かす、生かすものであるハズだ。

だからいま、服を作ってる。その人に合う服。その人にしか着れない服。その人だから着れる服。そんな過去の些細な小さな自分を時折照らし合わせて、その時のコンプレックスを昇華しながら、今日も服作りわかんねーと思って無力に生きてる。

 

服作りって、難しい。

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徒然草 味噌汁と甘い香水

 

お味噌汁と、甘い香水。

私が高校生だった頃から住み着いている、大失恋の香りだ。

 

彼に振られた次の日の朝、私は駅のホームにいた。目的地に向かう電車をホームの向かい側にある蕎麦屋を見つめながら待っていた。

(予備校に行かなくては。)そう思って足は歩んでいたものの、心は昨日に置き去りだ。ただ黄色い線の内側に整列していた。

 

「好きの気持ちが無くなった。ごめん。」

昨晩、かぼちゃの馬車のような遊具に二人は乗り込み、白い息を吐きながら静かに、シンシンと話をした。この瞬間、フラれた。

私は部活で彼はバイトで夜遅くまで。すれ違いで会える時間もなく、別れる前兆はあった。会う予定が会えなくなるたび、何度、毒々と響く自分の心音を閉じ込めただろう。

 

「好きの気持ちが無くなった。ごめん。」そう言われたときも私は我慢した。「そんなに気にしないで」と。

冬の夜、すーっと吸う息が冷たい。そうだ、ここは公園で、ここはかぼちゃの馬車のような遊具の中で、別れ話をされていて。

もっと大きく息を吸った。どこからか流れて来たお味噌汁の香りをお腹いっぱい吸い込んだ。周りを見渡すと灯りのついた一軒家が並んでいる。

 

「そろそろ行こっか。」そう言って立ち上がった彼から、ふわっと甘い、いつも通りの香水の匂いがした。香水とそこらじゅうに漂うお味噌汁の香りに、私は吐きそうになりながら、堪えて立ち上がった。

 

今、私は駅のホームにいる。向かい側の駅ホームにある蕎麦屋をぼんやりと眺めている。電車が徐々にスピードを落として入ってくる。

(あ。)と思ったのと私が振り向いたタイミングは寸分も違わないだろう。電車につられて、他人になった彼の香水の匂いが流れてきた。

振り向いてもサラリーマンしかいなかった。なだれ込むように電車に乗り込んだ。満員電車の中、サラリーマンの胸にうずくまるような体制になった。

 

(あぁ、吐きそうだ。)

味噌汁と甘い香水は、ずっと私の心に住み着いている。

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徒然草 わたしは豚肉の解凍が待てない。

早く仕事から帰れる日は家でご飯をつくるのだけど、いつも失敗するのが「解凍」だ。わたしは解凍ができない。んっと、正確に言うと、待てない。

冷凍室からカチンカチンに固まった豚バラを取り出し、電子レンジに入れる。待てないとはいえ[あたためボタン]を押すわけではなく、さすがにちゃんと[解凍ボタン]を押す。押すまでの設定が、きっと待ててない。

まず、たとえ100gのカチンカチン豚バラでも[200g]にクルクル設定する。その上、強中弱が選べるので[強]を押す。そして仕方なく待つ。

音が鳴る。ドアを開けると両端が蒸された豚バラが出来上がってくる。んーっ、ほら失敗だ。そのままフライパンに落とし込んで調理したら、はい![何枚か両端パリパリの豚バラもやし炒め]の出来上がりです。

 

なんで少し先の豚バラの様子がわかってるのに、100gを200gに設定しちゃうんだろう。

なんで出来上がりの料理が食感不揃いなのわかってるなに、強を押しちゃうんだろう。

 

んー。。きっと、私は家電に120%を求めすぎなのかもしれない。200g設定+強にしたら、解凍スピードは少しばかり速くなる。その少しばかりの時間を本当は丁寧に電子レンジに対応して欲しいのだ。

だけどそんなことができるはずもない。だって電子レンジもそんなこと製造者から叩き込まれてないからだ。でも、ちゃんと解凍された豚バラが欲しい。

 

じゃあ、AI搭載の電子レンジ使えばいいやん勝手にうまく適当に解凍もやってくれるだろうし。…という声も聞こえて来ないけど聞こえてるふりをする。…んー、ごもっとも。だけど、そうなのわかってるのに私は買い換えようとは思わない。そこは[蒸してしまう電子レンジ]が良いのだ。要望120%答えられると思うなよ、と柔軟に対応できない電子レンジこそ、むちゃくちゃ可愛くもはや不器用に見えるのだ。

 

これはヒトに応用しちゃダメなことです。120%要望すると豚バラみたいにどっかが蒸されてしまうしパリパリになってしまう。だから、ヒトにお願いして良いことは、極力60-80%ぐらいでお願いごとをするのが、きっと良いんだと思う。そうしたらきっと80%ぐらいの完成度+そのヒトの個性で、結局は120-200%に近づくんだと思うのです。

 

豚バラを解凍できないという話から、何故かヒトへのお願いの仕方のお話に触れてしまった。まぁとてもよくわからないけれど、こうやって自分の発見を記録していくのも良いなと思って、今年はちょくちょくアップしようと思っていますヨ。

 

ここまで読んでくださった方は、ついでに100gのカチカチ豚バラをうまく電子レンジで解凍方法を教えてください。

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徒然草 ニーゼロニーゼロ、最初の置きメモ

突然だけれど、そもそもわたしは「東京オリンピック」に何か仕事で携わりたくて上京したのだ。会社の面接でも言った。

 

そんな年が遂に来てしまった、2020年。あけましておめでとうございます。

2020。「ニー ゼロ ニー ゼロ」と時折ニュースやバラエティで言ってたりする。

この響きに違和感を持つし、誰がこんな「日本語↔︎英語」で言い出したのかもわからないけど、このごった混ぜで雰囲気かっこよく取り繕ったのがわたしは好きだ。写真でポーズをとる掛け声にしてはどうだろう?(^皿^)(^◎^)(^皿^)(^◎^)

 

東京オリンピックに携わりたい」だなんて、いま考えたらとても漠然としている。何をもって携わるなのか?きっと今の自分の環境だと、こうじゃ無いかなーと思う気持ちの整理ができた、それは、

いま私が思い浮かべた数十人ぐらいが、健康とか命とか、生きるとか死ぬとか考えるきっかけ作るコトじゃ無いかなーって思ったのです。それも、「思い出」として。

 

思い出として、ってのが実は一番言いたい事なのかも。それくらいその人の中では強烈で粘り高く在り続ける、しかもオリンピックの感動や闘争心、ワクツクの渦で。

 

スポーツで胸が揺さぶられた後って、ふと我に帰ると思うんですよ、スーンと冷静な自分がいませんか。その冷静になった瞬間、何を思い浮かべますか?自分の人もいるし、友達、家族、隣の家のおじいちゃん、、、

 

私はその時、少なからず大切な人思い浮かべると思うんすよ。

その瞬間に、わたしは携わりたい。

その瞬間の気持ちにわたしが良いと胸を張るものや人を添えたい。

 

なんか言い回しくどくなったけど、感動の後、感動のままで終わらせたく無いってことですかね。日常に帰った瞬間に電話したくなる人がいて、その話のネタに使ってもらえれば、嬉しい楽しい。

、、とまぁ、わたしなりの「オリンピックに携わりたい」はここかなーと思い、それこそ徒然草っぽく布団で半目になりながらメモしました。また清書するかもね!

 

さて、こちらも最後に令和初の置きメモを。

・仕事において、抽象→具体→応用の反復整理する時間を設ける。(去年全然できなかった)

・で、自分なりの設計図を3つほどカタチにする。

・圧倒的な効率化。(本当に残業したくない)

・そのぶんプライベートに費やす。費やし方はその時々の気分で決めて良し。(だいたい好きなものわかってきた)

・だけど今年は「巡り合い」に繋がる空間に積極的に身を置く(去年は深く密になれたと思っている)

 

 

・無理しない。程よく力を抜く。(去年滅入ったのを教訓に)

 

 

 

 

おやすみなさいー。

徒然草 夢の国はディズニーだけじゃなかった。

夢の国って、ディズニーランドしかないと思ってたけど、違ったみたいだ。

 

「香港、行ってみるか」

上司の一言で行くことがふわっと決まった。仕事を始めてから、出張に対して特に気張ることもなくなっていたけれど、香港だもの、高揚する。
無論、距離的に近いし同じアジアだしそこまで海外感が少ないの大いにわかるのだけれど、パスポートで身分をチェックしないと行けない場所、ある意味責任を持ちながら足を運ぶところにいささか緊張感はつきものだ。

 

着いた香港はネチッこかった。店頭の魚やぶら下がる豚、そこを行き交う車の排気ガスが混じり合った匂いが体を覆い、着ていた無印Tも香港に染まっていく。
街歩きは酔う。圧倒的なカラフル高層ビルで首を上げては足元の凹凸に首を下げ、奥行きがつかめない地形の高低差も追い打ちをかけ、三半規管が白旗を上げた。(スタバのアイスコーヒーは何度も美味しかった)

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香港に行ってよかったコトはざっくり2つ。

1つはタイトルの発表を聴けたコトだ。タイトル獲得って日頃の業務に付随してくるものだ、とここ数年でやっと理解できるようになった。(それまではアワード受賞を目的に仕事をしていたし、1年目のとき20歳ぐらい離れた上司に受賞目的で仕事したいので仕事くださいと馬鹿みたいな話をしていたことがとてつもなく恥ずかしい)

「ゴールド」と言葉を聴いた瞬間は覚えているのだけれど、そこからの記憶がシャッターを押したフォトストックのように、断片的だ。ステージからの景色はずっと覚えているだろうし、異様な鳥肌も忘れない。写真撮影時に無意識に上司の腰に手を回してしまったことをこっそり赤面したことも忘れないし、何よりも一緒に頑張ってきたお客さんの安心した顔にお鼻がツーンとなったのはこの仕事にジョインさせてもらってよかったなと改めて思った次第だ。

もう1つの部門でも「シルバー」を受賞した。自身のPJ名を聞いたときはやっぱり興奮状態でやらなきゃいけなかったコト(写真撮影)も忘れてしまった。
(余談だが、受賞トロフィーはとてつもなく重かった。物理的要素の「重み」からメンタル要素の「重み」へ。触覚の誤読はストーリーのはじまりであり、自分のコミュニケーションテーマになった。)

 

香港に行ってよかったもう1つの理由。自分には何ができていたのか、と振り返るコト。恥ずかしいけれど、俗に言う自分探しだったのかもしれない。仕事をこの先続けていけるのかと懐疑的に思っていた最近だったけれどやっぱり面白いし、これからも続けていきたいと思うようになった。続ける上でのテーマも見えてきたし、それを企画実行成果も上げて胸を張って表彰台に立とうと思ったし立てると思った。

ガッツポーズもしたけれど、もっともっと血管が浮きでたガッツポーズができるように。ガッツポーズのあとにはお客さんとハグできるように。苦手なことも、苦手じゃなくなるように。得意でスキなところも、もっと得意でスキになるように。

 


あっという間だった夢の国、香港。
ネチッこい匂いは消えないように保管しておきます。

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という徒然草までに。

 

徒然草 当たり前だけど難しかったコトが、ひとつ、クリアになりました。

「時間をもらうと、何を考えるのだろう?その時に考えていることが、きっと今一番楽しいことなんだろうな」

 

忙しいながらもそんなことを考えていた中、ちょっと色々あって仕事を休むことにした。簡単に言うとキャパシティオーバーだった。ずっと不安に思っていたことが、面にも出始めて、こりゃちょっとアレおかしいなーと思っていて、休みをもらうことにした。(会社の人柄で病んだ訳ではないから、むしろ会社の人には感謝している)

 

偶々、京都で仕事があった最中の話だったので、タイミングよく実家に帰省。実家ではお母さんが一人いて、ずっと話を聞いてくれた。うんうん、聞いてくれたのと同時に、自分の本質と合わせてこうしたらいいのでは?とそっと言ってくれたのは、本当に帰省してよかったなと思う、やっぱりお母さんやな。

 

帰省している間は、お母さんはパートに出ていたりもしたので、だらだら大阪のテレビをみてホッとしていたり、潰れてしまうSTANDARD BOOK STOREに何回か通ってひたすら本本本。(マジで一番潰れて欲しくない本屋さんだった、青春をありがとうございましたm(_ _)m)

この本屋さんは、流行りに乗らず、店員さんが読んでほしいを、店内でなんとなくカテゴライズして販売している本屋。カテゴライズされているのは、デザインや旅行、詩集や大型コミック、時には著名人括りで本棚をがっつり構えていたり。その中で、入店当初の私が無意識に足が向かっていたのは「どうしたら仕事がうまくいくのか?XXXX式の働き方(仮)」的な自己啓発カテゴリの本棚だった。きっと、頭の中で「どうにかしないとあかん」っていう焦りがあって、答えを本の中に求めていたんだと思う。

この本屋は試し読みが際限なくできるので、いくつか自己啓発本を取って隣のカフェに持ち込み読んでみたものの、びっくりするほど目が動かない。違うことを考えてしまう。…なんてことが何度かあった時にはもう、「答えを求めて本選ぶのやーめよ」と気づき、すぐ棚に返したから何を読んだのかさえ覚えてい無い。

 

それからは色んなジャンルから本を手にとってペラペラめくって読んでみた。中で、デザインのカテゴリからとった本がコチラ↓

「こといづ」著者:高木正勝

https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/41PIvrL9VNL._SX357_BO1,204,203,200_.jpg
https://www.amazon.co.jp/dp/4863241291/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_U_5X9GCbMPAVHFJ

高木正勝”ってどっかでみたことがある字面だなーと思いつつも詳しく知らなかったけど、調べてみると、超ー有名音楽家&映像作家さんで、細田守の映画はほぼこの人が作曲していたり「自然や人間っぽさ」を音楽で表現するのがものすごく上手い人らしい。私が偶々手にとったのは吉本ばななが帯を書いていたからで、読み進めていると、彼が団地から田舎に移住した先の出来事が書かれているエッセイだ。(ソトコトの連載を集約している、と言うのでなんとなく雰囲気が伝わるだろうか)

言葉がスルスルと入ってくるのは、きっと、彼創作の何とも言い難いオノマトペが多いからだと思う。さっきも言った通り、この本屋は“試し読み”ができる本屋だ。その場で読んで、読み終わったら返せばタダで読める。だけど、最初の章「なつかしや、わがともよ」のあるフレーズを読み終えて、この本はきっとターニングポイントになるエッセイだなと思って、お財布を持って新品を取りに行き、購入した。
読んでいて「うう」と漏れていたのを抜粋だけさせていただく。

(中略)“今”を行きている僕はどれくらいきちんと「自分」でいられているのだろう?いらない「自分」を置き去りにした分、身軽で見栄えのいい大人になったのはいいけれど、随分生き方が狭くなってやしないだろうか。大人になるためにその都度捨ててきた「自分」は、いったいどうしているのだろう?どうやったら、閉じてきた蓋を開け、捨ててきた「自分」を全部取り戻せるのだろう?
こといづ「なつかしや、わがともよ」より引用

 自分のその時の事態がこれほどまでに仰々しく語れるものなのか、はさておき、前後の行間も含めたこの言葉は、慌てて買い足した付箋シールをペッと貼っている。詳しい感情はここでは書くのをやめておく。

 

 

本を読むことさえできなかった、寧ろ、文字を読むことさえ煩わしいと思っていたのがちょっとだけ前の自分には、正直もう戻りたくない。それは、本が読める読めないっていう問題ではなく、「心身の余白の有無」がここでいう実体験から学んだ問題点だった。ちょっと前に大学の友人が「仕事が終わってそのままスーパーに行って買い物をして、ご飯を作って食べさらい、余った時間は自分の時間にするのが一番幸せだ」って言っていたのを思い出した。あの時、正直「今の年齢でそれをするのは勿体無い、忙しい方が満たされる」と思っていた反面「私もそうありたい」と羨望の眼差しで彼女を見ていたんだと思う。今は、彼女の考え方に、倣いたいと考えている。

 

ただ、そう在りたい、と願いつつもなかなか叶わないのが現実の話で。きっと仕事に戻ったら仕事量は減りつつも増え続けるだろうし、なかなか自分の時間というのが取れないんだろうなと思うし、量では無いまた別の問題(寧ろこっちのが本題だったりはする)も上がってくるからそれはそれで時間がかかるところではあるし。今は、このふと湧いて出てきた休暇を満喫すること、そしてこの先長い時間を「感じ良く生活していくこと」のための準備運動だと思って我儘に生活している。

 

「時間をもらうと、何を考えるのだろう?その時に考えていることが、きっと今一番楽しいことなんだろうな」

 冒頭でのこの言葉。ちょっと前までの自分だと、仕事のコトだったと思う。
だけど今は「興味が湧いたままに考えを進める」ようになったので、つまりは
仕事よりも「自分の生活」を考えられるようになったんだなーと。

 

当たり前だけど難しかったコトが、ひとつ、クリアになりました。
ワタシがワタシをつまらなくするのはもう辞めます。

 

という徒然草

徒然草 幡野広志さんの写真展に行って感じた、今の自分

幡野広志さん。

ずっと気になっていた写真家の方で、最近よくテレビでも見るようになった。なぜ気になってたか、というと写真ではなく、正直彼のバックボーンだった。

写真家

元狩猟家

がん患者

ちょっとだけだけど医療のコミュニケーションについて深く関わるようになってから、そういった当事者の方の生活がきになるようになってから、ある社内ディスカッションで彼の名前が出てきてから彼のブログや連載を読むように。

 

今日、彼の写真展「優しい時間」にいってきた。

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TOBICHIに行くのも初めてだったから建物を間違えたところから始まり、ようやく着いた。

真っ白な、少しざらつきのある壁に描かれたタイトルと優くん(息子さん)のお写真。

 

入ると右手が「海上廃墟」と題された、25歳の時に海沿いを旅した時にふと思いついたというアテを、十年経った今、あえて掘り起こしてきたようだ。25歳の自分を頑張りを褒めたい、と書いていた。

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そうやって、私も25歳の自分を、懐かしむことができるんだろうか、と思った。

おそらくそうなるだろう

と思うのだけれども、その具体的な内容まで、こんな毎日忙殺されたながら過ごしていると、毎日が噛み締められて生きているのかな、と不安になった。

もしかすると

「あの頃は、超忙しくしていて何やったか覚えてないよ」

なんて言葉しか出てこないかもしれない。これはきっと、後悔する。毎日が作業と時間に追われていて、ぶっちゃけて言ってしまえば、超今おかしい。

たまに来る良くない波みたいだけれど、身体的なのか精神的なのかわからないけれど参っていて会社に行きたくない、というより、仕事に手をつけたくない、とさえ思っている。

周囲に迷惑かけているのもわかるけれど、その優しさがまたくるしい。

 

幡野さんの写真を一つ見て、心が救われた、というよりも今の自分が整理出来たんだ、とも思った。こうやって、言葉にして話せているから。

 

2階もあった。

階段を登る前、狩猟の幡野さんの写真が出てきた。そこには、イノシシが雪の中で、血を流して正面を見ている写真と、横には雪が血で染まった写真があった。

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命が途切れた瞬間と、いつの間にか流れている無機質な空気の流れが、同時にあった。

死ぬということは、時間にここで終わり、と印を付ける瞬間でその印を見て生きる者が何かを感じ取ることができれば、その人を心の豊かな人間だというのかもな、と、だらだらと思いはせていた。

 

2階に登った先には、息子の優くんギャラリーだった。

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目に入ったのは、優くんのこれまで日常をムービーに落としたものだった。例えば、誕生日の日にケーキのろうそくを一生懸命消そうとするけれどなかなか消えてくれない時間や、公園の水のみばの水を出したり止めたり、ただその繰り返し。をしながらずぶ濡れになる優くん。

なんとも微笑ましいムービーで、1階を難しい眉で見ていたことがわかり取れるぐらい顔が綻んだ。

その瞬間が分かった時、ふと我に返った。

これを撮っている幡野さんの余命は、幾許も無いというコト。その揺るがない事実を自分に投影してしまい、私は急に泣いてしまった。

 

優しい時間に、印がつく時が来る。

血ではない、印がつく時がある。

それはきっと、息をしていない、という印。

それはきっと、周りが悲しむ、という印。

 

自分もいつか、印を付ける時が来るのか、と思うと、私はまだまだ怖い。

印を付けるまでに、私も私がしたいことを、毎日突き詰めないといけない。

それが今の日常では正直発散出来ていないのもある。

自分がうまくデザインできていない。

そう思うようになった。

だから、もう少し、自分のことをちゃんとちゃんと考えて変えていこうと思う、そう思えた、決意のここに残すことにした。

 

取り留めもない、ただの徒然草