徒然草

徒然草

徒然草 夢の国はディズニーだけじゃなかった。

夢の国って、ディズニーランドしかないと思ってたけど、違ったみたいだ。

 

「香港、行ってみるか」

上司の一言で行くことがふわっと決まった。仕事を始めてから、出張に対して特に気張ることもなくなっていたけれど、香港だもの、高揚する。
無論、距離的に近いし同じアジアだしそこまで海外感が少ないの大いにわかるのだけれど、パスポートで身分をチェックしないと行けない場所、ある意味責任を持ちながら足を運ぶところにいささか緊張感はつきものだ。

 

着いた香港はネチッこかった。店頭の魚やぶら下がる豚、そこを行き交う車の排気ガスが混じり合った匂いが体を覆い、着ていた無印Tも香港に染まっていく。
街歩きは酔う。圧倒的なカラフル高層ビルで首を上げては足元の凹凸に首を下げ、奥行きがつかめない地形の高低差も追い打ちをかけ、三半規管が白旗を上げた。(スタバのアイスコーヒーは何度も美味しかった)

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香港に行ってよかったコトはざっくり2つ。

1つはタイトルの発表を聴けたコトだ。タイトル獲得って日頃の業務に付随してくるものだ、とここ数年でやっと理解できるようになった。(それまではアワード受賞を目的に仕事をしていたし、1年目のとき20歳ぐらい離れた上司に受賞目的で仕事したいので仕事くださいと馬鹿みたいな話をしていたことがとてつもなく恥ずかしい)

「ゴールド」と言葉を聴いた瞬間は覚えているのだけれど、そこからの記憶がシャッターを押したフォトストックのように、断片的だ。ステージからの景色はずっと覚えているだろうし、異様な鳥肌も忘れない。写真撮影時に無意識に上司の腰に手を回してしまったことをこっそり赤面したことも忘れないし、何よりも一緒に頑張ってきたお客さんの安心した顔にお鼻がツーンとなったのはこの仕事にジョインさせてもらってよかったなと改めて思った次第だ。

もう1つの部門でも「シルバー」を受賞した。自身のPJ名を聞いたときはやっぱり興奮状態でやらなきゃいけなかったコト(写真撮影)も忘れてしまった。
(余談だが、受賞トロフィーはとてつもなく重かった。物理的要素の「重み」からメンタル要素の「重み」へ。触覚の誤読はストーリーのはじまりであり、自分のコミュニケーションテーマになった。)

 

香港に行ってよかったもう1つの理由。自分には何ができていたのか、と振り返るコト。恥ずかしいけれど、俗に言う自分探しだったのかもしれない。仕事をこの先続けていけるのかと懐疑的に思っていた最近だったけれどやっぱり面白いし、これからも続けていきたいと思うようになった。続ける上でのテーマも見えてきたし、それを企画実行成果も上げて胸を張って表彰台に立とうと思ったし立てると思った。

ガッツポーズもしたけれど、もっともっと血管が浮きでたガッツポーズができるように。ガッツポーズのあとにはお客さんとハグできるように。苦手なことも、苦手じゃなくなるように。得意でスキなところも、もっと得意でスキになるように。

 


あっという間だった夢の国、香港。
ネチッこい匂いは消えないように保管しておきます。

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という徒然草までに。

 

徒然草 当たり前だけど難しかったコトが、ひとつ、クリアになりました。

「時間をもらうと、何を考えるのだろう?その時に考えていることが、きっと今一番楽しいことなんだろうな」

 

忙しいながらもそんなことを考えていた中、ちょっと色々あって仕事を休むことにした。簡単に言うとキャパシティオーバーだった。ずっと不安に思っていたことが、面にも出始めて、こりゃちょっとアレおかしいなーと思っていて、休みをもらうことにした。(会社の人柄で病んだ訳ではないから、むしろ会社の人には感謝している)

 

偶々、京都で仕事があった最中の話だったので、タイミングよく実家に帰省。実家ではお母さんが一人いて、ずっと話を聞いてくれた。うんうん、聞いてくれたのと同時に、自分の本質と合わせてこうしたらいいのでは?とそっと言ってくれたのは、本当に帰省してよかったなと思う、やっぱりお母さんやな。

 

帰省している間は、お母さんはパートに出ていたりもしたので、だらだら大阪のテレビをみてホッとしていたり、潰れてしまうSTANDARD BOOK STOREに何回か通ってひたすら本本本。(マジで一番潰れて欲しくない本屋さんだった、青春をありがとうございましたm(_ _)m)

この本屋さんは、流行りに乗らず、店員さんが読んでほしいを、店内でなんとなくカテゴライズして販売している本屋。カテゴライズされているのは、デザインや旅行、詩集や大型コミック、時には著名人括りで本棚をがっつり構えていたり。その中で、入店当初の私が無意識に足が向かっていたのは「どうしたら仕事がうまくいくのか?XXXX式の働き方(仮)」的な自己啓発カテゴリの本棚だった。きっと、頭の中で「どうにかしないとあかん」っていう焦りがあって、答えを本の中に求めていたんだと思う。

この本屋は試し読みが際限なくできるので、いくつか自己啓発本を取って隣のカフェに持ち込み読んでみたものの、びっくりするほど目が動かない。違うことを考えてしまう。…なんてことが何度かあった時にはもう、「答えを求めて本選ぶのやーめよ」と気づき、すぐ棚に返したから何を読んだのかさえ覚えてい無い。

 

それからは色んなジャンルから本を手にとってペラペラめくって読んでみた。中で、デザインのカテゴリからとった本がコチラ↓

「こといづ」著者:高木正勝

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https://www.amazon.co.jp/dp/4863241291/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_U_5X9GCbMPAVHFJ

高木正勝”ってどっかでみたことがある字面だなーと思いつつも詳しく知らなかったけど、調べてみると、超ー有名音楽家&映像作家さんで、細田守の映画はほぼこの人が作曲していたり「自然や人間っぽさ」を音楽で表現するのがものすごく上手い人らしい。私が偶々手にとったのは吉本ばななが帯を書いていたからで、読み進めていると、彼が団地から田舎に移住した先の出来事が書かれているエッセイだ。(ソトコトの連載を集約している、と言うのでなんとなく雰囲気が伝わるだろうか)

言葉がスルスルと入ってくるのは、きっと、彼創作の何とも言い難いオノマトペが多いからだと思う。さっきも言った通り、この本屋は“試し読み”ができる本屋だ。その場で読んで、読み終わったら返せばタダで読める。だけど、最初の章「なつかしや、わがともよ」のあるフレーズを読み終えて、この本はきっとターニングポイントになるエッセイだなと思って、お財布を持って新品を取りに行き、購入した。
読んでいて「うう」と漏れていたのを抜粋だけさせていただく。

(中略)“今”を行きている僕はどれくらいきちんと「自分」でいられているのだろう?いらない「自分」を置き去りにした分、身軽で見栄えのいい大人になったのはいいけれど、随分生き方が狭くなってやしないだろうか。大人になるためにその都度捨ててきた「自分」は、いったいどうしているのだろう?どうやったら、閉じてきた蓋を開け、捨ててきた「自分」を全部取り戻せるのだろう?
こといづ「なつかしや、わがともよ」より引用

 自分のその時の事態がこれほどまでに仰々しく語れるものなのか、はさておき、前後の行間も含めたこの言葉は、慌てて買い足した付箋シールをペッと貼っている。詳しい感情はここでは書くのをやめておく。

 

 

本を読むことさえできなかった、寧ろ、文字を読むことさえ煩わしいと思っていたのがちょっとだけ前の自分には、正直もう戻りたくない。それは、本が読める読めないっていう問題ではなく、「心身の余白の有無」がここでいう実体験から学んだ問題点だった。ちょっと前に大学の友人が「仕事が終わってそのままスーパーに行って買い物をして、ご飯を作って食べさらい、余った時間は自分の時間にするのが一番幸せだ」って言っていたのを思い出した。あの時、正直「今の年齢でそれをするのは勿体無い、忙しい方が満たされる」と思っていた反面「私もそうありたい」と羨望の眼差しで彼女を見ていたんだと思う。今は、彼女の考え方に、倣いたいと考えている。

 

ただ、そう在りたい、と願いつつもなかなか叶わないのが現実の話で。きっと仕事に戻ったら仕事量は減りつつも増え続けるだろうし、なかなか自分の時間というのが取れないんだろうなと思うし、量では無いまた別の問題(寧ろこっちのが本題だったりはする)も上がってくるからそれはそれで時間がかかるところではあるし。今は、このふと湧いて出てきた休暇を満喫すること、そしてこの先長い時間を「感じ良く生活していくこと」のための準備運動だと思って我儘に生活している。

 

「時間をもらうと、何を考えるのだろう?その時に考えていることが、きっと今一番楽しいことなんだろうな」

 冒頭でのこの言葉。ちょっと前までの自分だと、仕事のコトだったと思う。
だけど今は「興味が湧いたままに考えを進める」ようになったので、つまりは
仕事よりも「自分の生活」を考えられるようになったんだなーと。

 

当たり前だけど難しかったコトが、ひとつ、クリアになりました。
ワタシがワタシをつまらなくするのはもう辞めます。

 

という徒然草

徒然草 幡野広志さんの写真展に行って感じた、今の自分

幡野広志さん。

ずっと気になっていた写真家の方で、最近よくテレビでも見るようになった。なぜ気になってたか、というと写真ではなく、正直彼のバックボーンだった。

写真家

元狩猟家

がん患者

ちょっとだけだけど医療のコミュニケーションについて深く関わるようになってから、そういった当事者の方の生活がきになるようになってから、ある社内ディスカッションで彼の名前が出てきてから彼のブログや連載を読むように。

 

今日、彼の写真展「優しい時間」にいってきた。

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TOBICHIに行くのも初めてだったから建物を間違えたところから始まり、ようやく着いた。

真っ白な、少しざらつきのある壁に描かれたタイトルと優くん(息子さん)のお写真。

 

入ると右手が「海上廃墟」と題された、25歳の時に海沿いを旅した時にふと思いついたというアテを、十年経った今、あえて掘り起こしてきたようだ。25歳の自分を頑張りを褒めたい、と書いていた。

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そうやって、私も25歳の自分を、懐かしむことができるんだろうか、と思った。

おそらくそうなるだろう

と思うのだけれども、その具体的な内容まで、こんな毎日忙殺されたながら過ごしていると、毎日が噛み締められて生きているのかな、と不安になった。

もしかすると

「あの頃は、超忙しくしていて何やったか覚えてないよ」

なんて言葉しか出てこないかもしれない。これはきっと、後悔する。毎日が作業と時間に追われていて、ぶっちゃけて言ってしまえば、超今おかしい。

たまに来る良くない波みたいだけれど、身体的なのか精神的なのかわからないけれど参っていて会社に行きたくない、というより、仕事に手をつけたくない、とさえ思っている。

周囲に迷惑かけているのもわかるけれど、その優しさがまたくるしい。

 

幡野さんの写真を一つ見て、心が救われた、というよりも今の自分が整理出来たんだ、とも思った。こうやって、言葉にして話せているから。

 

2階もあった。

階段を登る前、狩猟の幡野さんの写真が出てきた。そこには、イノシシが雪の中で、血を流して正面を見ている写真と、横には雪が血で染まった写真があった。

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命が途切れた瞬間と、いつの間にか流れている無機質な空気の流れが、同時にあった。

死ぬということは、時間にここで終わり、と印を付ける瞬間でその印を見て生きる者が何かを感じ取ることができれば、その人を心の豊かな人間だというのかもな、と、だらだらと思いはせていた。

 

2階に登った先には、息子の優くんギャラリーだった。

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目に入ったのは、優くんのこれまで日常をムービーに落としたものだった。例えば、誕生日の日にケーキのろうそくを一生懸命消そうとするけれどなかなか消えてくれない時間や、公園の水のみばの水を出したり止めたり、ただその繰り返し。をしながらずぶ濡れになる優くん。

なんとも微笑ましいムービーで、1階を難しい眉で見ていたことがわかり取れるぐらい顔が綻んだ。

その瞬間が分かった時、ふと我に返った。

これを撮っている幡野さんの余命は、幾許も無いというコト。その揺るがない事実を自分に投影してしまい、私は急に泣いてしまった。

 

優しい時間に、印がつく時が来る。

血ではない、印がつく時がある。

それはきっと、息をしていない、という印。

それはきっと、周りが悲しむ、という印。

 

自分もいつか、印を付ける時が来るのか、と思うと、私はまだまだ怖い。

印を付けるまでに、私も私がしたいことを、毎日突き詰めないといけない。

それが今の日常では正直発散出来ていないのもある。

自分がうまくデザインできていない。

そう思うようになった。

だから、もう少し、自分のことをちゃんとちゃんと考えて変えていこうと思う、そう思えた、決意のここに残すことにした。

 

取り留めもない、ただの徒然草

 

徒然草 新年散歩して出会ったシゲさんから考えた、ちょっとした仕事のハナシ

住んでいる都立家政駅に1ヶ月前から古着屋ができた、のを横目で見ながら帰宅していた。

控えめな小さな看板を目にしていたが、なかなか入るタイミングがなく、いつも手前の松屋でご飯を食べて帰宅していた。

 

さっき、クリーニングを取りに駅前に向かっている途中に思い出し立ち寄ってみた。

入ってみたら、まあかなりドンピシャな古着が集まっていて、音楽も内装も最高にドンピシャだった、そしてとても暖かかった。

すうぅっと息を吸ってなんとなくお洋服見ていると、奥から店長さんが、最近歯医者でよく見る小さな紙コップを片手にやってきた。

ルイボスティー、好きですか?よかったら。」

とまさかのウェルカムドリンク。感じが良いお兄さんだ。少し気を張っていた分、拍子抜けし私もほろっと笑顔に。

 

シゲさんという店長さんは「古着」を介して“コミュニケーション”をしていきたい、と決め、最近、脱サラしたお兄さんだった。

古着屋さんは新品の服屋さんより、個性が出やすいようだ。世の中に服がありふれてる中でも、逆行して古着を探すという行為自体が店主の好みや考えがドストレートに反映されるからだ。

だからこそ来るお客さんはルミネや伊勢丹で新品の服を見るより、服や服の物語までもちゃんと見る人が多い。

その服達とお客さんの好みが合わないとそれまでの関係性。だけど、そこがドンピシャにハマると、より深い「何かがカチッとハマる音がする」関係性になれるみたいだ。

シゲさんは、古着で自分を表現し、お客さんと会話してそこから広がる化学反応を楽しみたいから、仕事を辞めてまでもこんな都立家政駅という辺鄙なところに店を出したのだ。

 

そんな話を聞きながらウェルカムドリンクのルイボスティーが無くなってきたところで、シゲさんが「新年なんで」と金箔入りの祝酒を出してきた。ではしめしめ…とルイボスティが入っていたコップを差し出し、会ってすぐの人と盃を交わした。横にはハッピーニューイヤーと書かれた花があった。

私も背負っていたカバンを床に置き、またしばらく話し込んだ。店内はヤフオクで買った流木に掛かった古着たちが不安定そうにゆらゆら揺れていた。

 

お店、何時までやってるんですか?と聞くと「毎日23時までやってます」とのこと。ここは下北沢か、とツッコミつつ理由を聞くと「大人は22時以降が楽しい」とのこと。

確かに、22時以降の駅にはいろんな人がいる。

酒に酔ってふらふらしている人や、残業でふらふらしている人。人間に会いたいし集まる場所にしたいから、23時までお店を開けるようだ。

 

なんだか、安心した自分がいた。

「お金なくてもいいし、ふらふらでも来てくださいね」と言ってもらって、そういう温もりのある場所を構築する人って、超優しいと思った。そういう両手を広げて待ってくれる場所って、超優しいと思った。

 

「そういえば、甲本ヒロトも言ってたんですよ」とシゲさんは続けた。

「昔ライブに行ったときに、甲本さんが言ったんです。“ 俺はステージと客席には、見えないドアがあると思ってる。ステージからドア開けてずっと手を差し伸べてるから、いつでも掴んでこい。”…僕もそんな古着屋さんに、していきたいんですよね〜。」

…シゲさん良いですね、超素敵です。と語彙力なくでもシンプルに言葉が出ていた。「でもなかなか宣伝うまく行かなくて、PR手伝ってください〜涙」と言われたので、もちろん!とお返事をした。

 

 

まだまだシゲさんは甲本ヒロトにはなれないかもしれないけれど、

ステージと客席の間を狭く工事すること

ステージと客席の間に橋を掛けること

ステージと客席の間を狭く魅せること

きっといろんな方法があって。それがPRのお仕事と通づるんじゃないかなって。シゲさんをちょっと早く甲本ヒロトに導くことはできるかな、と思っている。 …って生意気にちょっとシゲさんに言ってみたら、とても嬉しそうな顔をしていたから、明日からの仕事も、ちょっと楽しくなった。

 

HIBIWA、是非行ってみてください。

www.instagram.com

 

さて、新年、あけましておめでとうございます。

本年もどうぞよろしくお願いしますね。

徒然草 ディズニーの備忘録

お母さんが大阪から遊びに来た。
東京駅で待ち合わせをして、改札から出てくるお母さんを見たときは
前日のお酒がかなり残っており、私はまだ酔っ払っていた。(すぐ二日酔いがバレた)
同時にお父さんも仙台から1日だけ遊びに来た。(こちらもすぐ二日酔いがバレた)

 

その日は観光したりご飯を食べたりうろうろしていたが、
昼から飲むのが好きなお母さんとお父さんは「ビール」という言葉に財布が緩む。喉が鳴っている。
私はそれを見ながらオレンジジュース、ペリエを繰り返していた。胃が元に戻らない。

 

父は仙台に帰り、お母さんが家に泊まった。
「ほんま朝早なってん。ごそごそするけど許してな〜」と言われ、「ん」だけ返して寝た。
次の日、確かに6時には起床していて、珈琲を淹れたり掃除をしてくれたり布団畳んだりと
忙しく狭い部屋をうろうろしていた。(のを私は布団から見ていた)

 

約束の起床時間になり3度寝していた私も起き、ディズニーシーに行った。お母さんからのリクエスト。
通勤時間とだだ被りだったため、バスタ新宿からディズニーシー行きのバスに乗って向かった。
後ろの席が大阪のギャル二人で、見事なゲス話を大声で披露。これじゃあ通勤電車の苦痛と変わらないじゃないか。

 

到着する直前、お母さんがはしゃぎ始めた。
「あかん、これは、アガる」
“アガる”なんて言葉使うんや〜と言いながらも私も内心かなりアガっていた。

 

「チケット買わなな〜」とはしゃぐお母さんを横目に「ほら」と渡す。
前もって取っておいた会社のコピー機で印刷したA4サイズのチケット2枚。
「え〜取っといてくれたん!ありがとう〜!」
よし、段取り完璧だ。

 

入っていきなりミッキーと出くわす。
「あかん、アガるわ〜!アガるわ〜!」
ミッキーの段取り完璧だ。

 

天気もよかったから、ベネチアの水面が光る。(シーの中)
とりあえずファストパスは取っておけば良いんでしょ、というノリで取ったニモのアトラクション。
そのあとにインディージョーンズ取りに行こう、としていたのだが、ファストパスのルールを忘れていた。

 

< 1つ取ったら、次取れるのは2時間後 >


わあああああ。段取り失敗。結局インディージョーンズは乗れなかった。
っていうか、アトラクションは300分待ちがほとんどで、並ぶのが嫌いな弊親子は並べなかった。
結局、「アトラクション以外をを全て制覇する」という遊びになった。

 

「思ってたより混んでたし、アトラクションはしゃーないよ」 

そうやって母は言うが、私はだだ凹みだった。
朝早くごそごそしていたお母さんを横目に3度寝していた自分を恨んだ。早く出ておけばよかった。
ファストパスの取り方を調べていなかった自分を恨んだ。チケットを取って満足するな。

 

親の前ではどうしても全部さらけ出してしまう。
テンションが下がったままアゲることがうまくできず、
シーを出て、六本木ヒルズに。東京を一望するも、
スカイツリーを見つけることができず、またもや悶々としてしまった。

 

次の朝、お母さんが帰った。
駅で何度も振り返って手を振るお母さんに、ミッキーばりの笑顔で見送った。

 

帰り道、「あんたとおったら何でも楽しいから、そんな気張らんで」とラインがきた。
次の日、「あんたに買ってもらったミッキーのコップ、珈琲美味しく感じるわ」とラインがきた。
また次の日、「お婆ちゃんとランチしてた時にディズニーの話したら
“ええ娘になってくれたな〜”ってお婆ちゃんが泣いてたよ」とラインがきた。

 

 

次は朝イチでディズニーでリベンジしような、お母さん。

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徒然草 幼馴染のゆり子(年賀シリーズ)

東京の自宅に帰ったら、年賀状がいくつか来ていた。LINEやらmessengerやらで済ますご時世に有難い。

書くネタも特になくてでも何か表現したかったので、とりあえずいただいた人のことについて、少し書いてみることにする。

 

・幼馴染のゆりこ

「年賀状が戻って来た」という連絡と私がゆりこの家を訪ねたのはナイスタイミングだったっぽい。手渡しでもらった。

 

ゆり子は、小学校からの幼馴染で家も歩いて1分のところになるのだが、高校~大学は特に連絡も取っていなかった。ところが社会人になって急に連絡がきて「結婚することになったからつきましてはスピーチを」なんてお願いをされたもんだから、正直びびった。

無事に結婚式も終わり、ホッとして東京に戻っている時に「スピーチが両家にウケた」と聞いて、大事な場面に頼ってくれて嬉しいなと思った。

 

それから全く会えなくて、いつのまにかベイビーちゃんも生まれてきて、会いたいのにタイミングが会わずに一年が差し掛かった時のことだ。

Instagramでベイビーちゃんが“先天性 筋ジストロフィーだということを知った。すぐに連絡したけど「大丈夫、心配しないで」との返答。私は既読をすぐにつけるけれど、返信で大した与力にもなれず、彼女の不安定な言葉が並ぶSNSを見てジレンマのまま日が過ぎていった。

 

やっと会えたのが、手渡しで年賀状をもらった今年の年始だった。結婚式以来だったのもあって、彼女の家に入ったときは謎のテンアゲモードで行ってしまった(恥ずかしい)

幼馴染は、「肝の座ったママ」をやっていた。ベイビーちゃんもむちゃくちゃ可愛い。むちゃくちゃクァワイィ。。。抑えていたテンアゲモード再来。

全然会ってなかったから、ゴミみたいなチリツモ話~真剣話までノンストップで4時間お話した。その中で、筋ジストロフィーのお話を聞いた。もうすぐ新薬が承認されそうで、セミナーに行っているとのこと。私も仕事で医療業界をやっていたこともあり、少ない経験を話していて、ふと顔を上げた先のママは、目をキラキラさせて耳を傾けてくれた。 

 

今すぐ助けたいと思った。助けるだなんておこがましい…という言葉を並べたくなるけど、本当に今すぐ助けたいと思った。

医者でも何でもないけれど、今すぐ救いたいと思ったし、それはベイビーちゃんだけじゃなくて周りの家族や携わるドクターとか周辺環境を丸ごと助けたいと思った。こういうのは、自己満がものを言う世界なのだとも思う。(某映画祭を担当していた時も思っていたが)

 

話はぶっ飛ぶが、今年はもっと自己満足できるようなことをしたいから、思ったことはいろんな人に伝えてみようと思うのです。うじうじしていないで、気持ちを表に出そうと思う。今、自分が満足できることの一つは「ヘルスケア分野を片足でもいいから突っ込んでいたい」。筋ジスではなくても、ヘルスケア業界の情報環境には浸かっていたい。そして、ゆり子の日常に変化をもたらせるようなことをしてあげたい。

 

少しでも良い変化を作っていけますように。よし、明日からも、頑張りましょう。

徒然草 大阪のおじいちゃん(年賀シリーズ)

東京の自宅に帰ったら、年賀状がいくつか来ていた。LINEやらmessengerやらで済ますご時世に有難い。

書くネタも特になくてでも何か表現したかったので、とりあえずいただいた人のことについて、少し書いてみることにする。

 

・大阪のおじいちゃん

一番の達筆。実家にいた時も、埼玉に住んでいた時も、東京に住所を変えた今年も、毎年毎年送ってくれる。

 

毎回出張で大阪に帰るときは必ず顔を出すようにしているけれど、最近明らかにおじいちゃんの認知症が激しい。

出世欲がありバックボーンを気にするおじいちゃんだから、小さい頃から「いい学校に進学するんだよ」「いい会社に就職してや」とかよく言われて来た。うちの家系では珍しいタイプだったから、小さい頃は苦手意識があった。

 

先日の帰省でもおじいちゃんに会ったのだが、認知症が進んでいることもあり、私が東京で働いていること以外は出鱈目ばかりで、おじいちゃんの妄想の中で理想の私が生き続けているようだ。結構すごい人になってるっぽい。

今回の帰省で一つホッとしたことがあった。おじいちゃん家のドアを開けた時のことだ。

 

「おじいちゃん帰ってきたで~」

「お~おかえり~また背伸びたんちゃうか」

「高校から伸びてへんで~」

 

たわいも無い会話だけど、ふと思い返せば、毎回帰省するたびに「身長伸びたな~」やり取りをしていたことに気づいた。こちとら高校からめっぽう伸びていないので、毎回同じ回答をするのだが、それでも飽きずに(ボケて)聞いてくるあたり、きっとおじいちゃんの頭の中で、「孫の成長=身長の伸び」という物差しがあるんだろう。

 

「成長の物差し」に触れることは、大人になったら専ら「仕事の成果」の上でしかない。だから、息がつまることも多かったし、特に2017年は苦しかった。

だからおじいちゃんとの会話のような身内の物差しは、暖かくてホッとする。こういう風に自分を見てくれる人をずっとずっと大切にしていきたいと思うのです。