徒然草

徒然草

徒然草 人生初のマイハウス、さよなら編

夏の台風は怖いから、みんな気をつけてほしい。

今年の夏、東京にも大きな台風がやってきて、私はその被害を被った。腰窓から水が大量に入ってきて、床が水浸しになったのだ。幸いにも電化製品には雨がしみることがなかったが、床の色は変色するし、本も御陀仏に。なんだか居心地が悪く感じてきて、その日から「部屋の嫌なところ探し」が自然と始まっていた。

 

いろいろ出てきた嫌なところ。中でも結構嫌だったところは「夏の蝉の鳴き声」だ。

家を決めた理由が「目の前に子どもが遊ぶような公園があった」からなのだが、引っ越し初めて×春に探したこと相俟って、ベランダ目の前に大きな樹があることも見て見ぬふりをした。

するとどうだろう、その大きな樹は「蝉の休憩所」じゃないか。「休んでんだよ〜休んでんだよ〜」と泣いて止まない蝉。夜勤のセミもいるらしく、夜中にも「休んでんだよ〜休んでんだよ〜」と鳴く。勿論、「休んでんだよ〜」という鳴き声は私には「ミーンミーン」としか聞こえないのだが。ひどく鬱陶しいかった。

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嫌な思い出縛りで書くつもりもないので、いい思い出もあったことを書く。友達が大阪からお泊りに来たこと、近くのお祭りに行くために一生懸命浴衣を着たこと、アイスクリームをみんなで食べたこと、雪が降って死ぬほど寒かった日のこと、冷蔵庫の中がお母さんからのプレゼントで野菜ジュースいっぱいになったこと、ゴキブリが1回だけ出て死にそうになりながら戦ったこと、なかなか起きれない日があったこと、仕事で凹んで近くの公園で一人ボーッとしたこと、引っ越しの片づけをほろ酔いになりながら友達としたこと。

 

脳内思い出どんちゃん騒ぎの中で、一番の思い出といえば、大阪から上京(上埼玉?)し、引っ越しが完了した日のことだ。

この日はお母さんが大阪から手伝いに来てくれていたのだけれど、終わったということで大阪に帰る支度をし始め、私も最寄り駅まで見送ることになった。

最寄り駅までの10分の間に、お母さんはたくさん心配してくれた。「ここのスーパーは深夜2時までやってるから、夜も明るいと思う」とか「近くにデニーズもあるし松屋もあるし、あんたがご飯作らんようになるのが心配や」とか「この本屋は雑貨も売ってるしペンとかなくしたら買いや」とか「反対側には銭湯あるのお母さんマップで調べたから疲れたら使いや」とか、言い出したらキリないくらい。

最寄駅に着いて改札で「バイバイ」って見送ったけど、なんとなく寂しかったから、近くの駐輪場のフェンス越しに気づかれんようにこっそり見てた。

そしたらお母さん、泣いてんねん。駅のホームで泣いてんねん。私もそれ見て涙こみ上げたけど、喉ぐるぐる鳴ったけど、眉間シワシワ険しくなったけど、とんがり口になったけど、泣きはしなかった。

電車きてお母さん見えなくなって、今までありがとうって気持ちがこみ上げてきて、お家まで散歩して帰った。これが引っ越し完了の日の思い出。

 

 

脳内どんちゃん騒ぎはもうおしまい。とりあえず良くも悪くも思い出たくさんな、いい仕事してくれた、すげえいい家だった。

 

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先週、私は都民になりました。引っ越しました。蝉どもの「休んでんだよ〜」も聞くことないな。ほら↓

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電線に鳥が止まりませんように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

地方な徒然草 熊本編

アメリカで左運転したときに、道路ひび割れてるな〜と思いながらがんばって運転してた。

お仕事で道路のことが身近になった時があって、道路がないと鮮度の高いお魚も食べられないのか〜とか思って結構まじで感謝した入社当時。

お仕事で地方に行くことが多くなって、その土地のことをサラッと調べながら行くのだけど、ここはアメリカかな?と思えるぐらいに酷かった。熊本。

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当然のこと、道路がひび割れてたのは熊本地震があったから。お仕事で熊本の人のお話聞くことあったから震災当時は大変だったと言われてなんとなく納得していたけど、その時に一つ気付いて情けないと思った事があって。

 

最近何か自然災害があっても、

「他人事という意識距離が遠くなった」

 

自分が被災者じゃないからジブンゴト化ができないのは否めないかもしれないが、他人事という意識が東日本大震災より遠くなってる。

 

震災があった時に入学したメディア学科で(もうわかったよ)と言いたくなるくらい震災報道のことはテレビ新聞ラジオ広告あらゆる分野から聞いたし、聞いて何故か泣いてたし。

 

私の結論は、経験を今に置き換えて活かすことしかできないんだろうなーそれがいろんな方法があって、それぞれ頑張るところで頑張るしかなくて。

 

 

熊本の居酒屋で言われたおっさんの一言が悲しかった。

「結局、熊本地震はさ、拡がっても九州でしかジブンゴト化として広まんなくて、それ以外は他人事でしかないわけよ。

みんなジブンゴト化するには、日本各地で災害が起こるしかないんよ〜残念やな〜」

 

やだな。それはやだな。どうしたらいいんだろう。結論なんか出さない、ただそれだけ。

 

地方な徒然草 お父さんの仙台編

9月から11月は出張が続くので、この高知から1ヶ月経たずうちに仙台に行きました。

yu1h.hatenablog.com

 出張ストーリー2、仙台な休日編。

 

私はお父さんが仙台に単身赴任してるので、実家大阪と一人暮らし東京と単身赴任仙台の一家3拠点生活をしている。偶然にも仙台が出張だったので、前乗りして休日をお父さんと過ごした。

 

お父さんは寡黙であまり喋らない。でも相手の言いたいことをすくい取るのがすごく上手で卑下もしない。安定感。子どもからすると安定感はすごく心地よく、母からすると面白くないとのこと。(ドラマ昼顔にハマる理由も正直わかる)

 

お父さんが言葉を発せず、首をすくめ、手首だけクイッと上げて「よっ」ってする姿がすごく好きだ。すごくすごく好きだ。何故かわからないけど胸がトクンと跳ねる。この間実家の大阪に帰った時に、弟が新大阪で車にもたれながら同じように「よっ」と待っていた時は(親子揃って私をドキドキさせてこの野郎め…)と心底、トキめいた。

 

そんなお父さんと仙台駅で「よっ」と落ち合い、早速、車で「御釜」へ向かった。五色岳に囲まれた火山口に雨水とか溜まってるのだけれど、時々沸騰しているらしい。もしも転げ落ちた後、熱湯溺死はやだなと思った。

御釜名物「薄いビニール袋に入れた熱々の焼きとうもろこし」がおいしかった。口の中より手を火傷した。

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その後温泉に行った。待合室でぼーっとしていた時のシーンが忘れられない。みんな畳の上で寝転んだりテレビ見ながら牛乳飲んだりしていて、例外もなく私も父もそれをした。隣では3歳の女の子と8ヶ月の男の子が寝ているパパの周りをぐるぐる回っていた。

可愛いね〜なんて父と話してて、可愛さに我慢できなくなった私はついに8ヶ月の男の子の手を無言で握った。胸がときめいた。父の「よっ」の姿を見たときに似た胸の締め付けられ方。要は、愛おさだ。

おとなしかった8ヶ月(名前わからないからこう呼ぶしかない)を自分の膝の上に乗せ、ほっぺをクイクイと触ったり、いないいないばあをしたり、一人幸せだ〜と口にしながら浸ってたら、父も8ヶ月を可愛いね〜と言いながらクイクイと触ってきた。

途端、無性に父がおじいちゃんになるんだって事実が頭の中に駆け巡った。そうか、私が誰かと結ばれて奇跡にも巡り合ったらこうやって膝の上に赤ちゃんを抱いて幸せを感じて目の前の父がその赤ちゃんのおじいちゃんになって。私も赤ちゃんに「この人がおじいちゃんですよ」と教えるんだ、と思ったら、すごく自分が大人になったのだ、と思った。

 

その晩は仙台に帰り、日本酒交わしながらカウンター寿司を食べ、しっぽりと語ってバイバイした。恥ずかしいから言葉にはしなかったけど、ここまで育ててきてくれてありがとう的な気持ちになった。

 

次の日も仙台だったので、また父を誘って夜飲みに行った。昨日の今日、ということもあり、会った時から少し小っ恥ずかしさを感じながら飲んでたら、テンションが上がり飲みすぎた。

そして記憶を飛ばし、私の仙台出張は終了しました。

 

地方な徒然草 高知編

社会人になる前は「出張行きたいです〜、新幹線乗りた〜い、飛行機乗りた〜い」って言ってたものの、こんなに行けると思っていなかったし、そもそも一人で行くとは思っていなかったので、一人で考えることも多く、なので独り言と観察録を徒然草にしてみる。

 

高知に到着したのは月曜日の朝。空港が好きだし時間不安症なので始発で向かって昼には到着してた。ホテルに荷物を置いて準備して、ある新聞社にノックをし、高知飛び込みキャラバン(新規営業回り)がはじまりはじまり〜

 

偶然にも(というか朝早くて)眠気眼の事務のおばちゃんと年老いた支局長がいて、お茶出してくれた。「ゆ:高知は初めてなんです、さっき着いたんす」「支局長:おお、そうなんけ、高知っちゅーたら龍馬やぞ、そこに生誕の地があるから行ってみなさい」

 

言われるまま行ってみたら、ふっつうに大通りに面してて、ベンチと碑と散歩してるらしいおばさま、以上。碑(というかただのちょっと大きな石)をベンチに座って見てると、知らない50歳ぐらいのおじさまが声をかけてきた。

「爺:あんた、龍馬のフアンかえ?」「ゆ:あー違いますね」「爺:なんや、あんたにしたらただの石やな、はっ」と吐き捨てられ、私の目の前を通って行った。(おじさまの腰曲がってたから龍馬の碑はずっと見せてくれていた)

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その後も飛び込みでキャラバンし、お昼にひろめ市場で鰹のたたき定食を一人サラリーマンと大学生に紛れながら食べた。絶品だったのに誰にも共有できないの悔しくて、隣に座ってた大学生サークル合宿(という名のイチャイチャ合宿)に「これ、美味しいね」って声かけた。「大学生男:美味しいっすよね、マジカツオっす」「ゆ:…そうやな、カツオやな」ランチ終了。

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高知って、ちんちん電車(路面電車のこと)あるんのだが、これがマジ使えない。ここ走ってないのかよ、とか、本数少なすぎて怒、的なことが多くてタクシー使うじゃん?タクシーのおじさまが逐一観光してくれんの。あそこの店はマジうめえぞ、とかこの橋は昔船が通ってたからなかったんじゃ、とかあそこの店の女将はべっぴんじゃ、とか。

 

タクシーおじさまにお勧めされた居酒屋に夜ひとり入ったんだけど、リーマン多すぎて絡まれまくって疲れた。ご飯がおいしいことと、奥にいる女将がべっぴんだったことだけが救いだった。

 

ホテルに帰って会社メール開くと、部の1年生から「本日の日報」がいつも通り送られてきてるの見て、去年の今ごろ私何書いてたっけ?って思い返し、メール掘り起こしてみた。(うちの部署の1年生はエクセルで日報つけて部内にシェアする)

同じイベントを去年は3人体制でやってたな、とか、出張中に先輩が鬱で倒れて引き継ぎもなく一年目なのに芸能案件一人でやらざるをえなかったなとか、出張から帰ったら疲労で高熱で寝込んだな、とか。いろいろ思い返してエモーショナルがスタート。

外出て目の前の居酒屋に入って一杯だけ呑んで一服しながらまたエモーショナルがスタート。去年の秋が理想と現実のギャップを始めて感じた時で、きつかった。お仕事では強がってた分、夜になると弱かった。大人の余裕が早く欲しいと思った。

 

次の日、朝から「どう?調子は?」って言いながら先輩が来た。

(別にわざわざ来てもらわなくてもよかったな〜)と思いながらそそくさ私の高知出張は終了しました。

 

トーキョーな徒然草  東京タワー

一年間東京にいてイケテルところ多いな~と思ったからさくっと書いてみる

 

東京タワー。

暗くなって光る、あの赤く儚い一本槍みてたら、自然とこう、心臓が漠々する、泣きたくなる。

東京タワーを見てるときって、そのときの感情・環境・空気に何かしらの理由をつけたがるのはなんでだろう?

例えばそのときかかってた音楽とか今では思い出の一曲だし、そのとき咲いてたあじさいも、今では思い出の花だし、そのとき隣にいた人の服装も、今では思い出だし。

東京タワー見て心臓漠々するんじゃなくて、色んな思い出とか感情とか理由とか探してたりするから、漠々するのかもなあ

他の観光地は近くに行かないと見えないのに、東京タワーは見上げたらだいたいいるもの。赤く光って艶かしいなあ~えっちだな~ずるいな~東京タワー。人間タイプだとあとに引きずらせるこじらせタイプの女だな。

わたし、思い出は時々振り返りたい性質だからいなくならないでネ。