徒然草

徒然草

徒然草 ハッピーバースデイ

引っ越しして1年経った。 

yu1h.hatenablog.com

私に出会う前、1年前のこの家は新築のゼロ歳。何人もの人が内見して「収納が少ない」とか「駅から遠い」とか「エレベーターから遠い」とかいろんな理由で選ばれなかった。そこを拾ったのが私だ、我ながら良い判断だった。

今、ここに流れてる空気は私だけの歴史。新築だったから、壁も床もドアについた指紋も、全部私だ。床の隅の方にいる埃も、私が育てた。傷がついたお風呂も、私が育てた。IHに油がついた台所も、私が育てた。

お鍋もIH可のものに変えたし、クッションも一歩も動かなくなるような最高に最悪なものを買った。
家の中の定位置も決まってきたし、酔っ払って帰ってきた時の自分の解放の仕方もわかった。
照明の色は絶対オレンジだって決めたし、カーテンの一番右が外れていることも知ってるけど直していない。
本は最近山積みだし(結構な高さ)、エアコンもたまに自動掃除してくれる(10回に1回エアコンから「フィルターのお掃除を開始します」と声が聞こえてくる)。
宅配ボックスから荷物取るの忘れたから明日取る予定だし、そういえばポスト見てくるの忘れたから明日見なきゃいけないと思っている。

ゴミを出したら管理人さんが「いってらっしゃい頑張って」って言ってくれるから「は〜い」ってちゃんとお返事する。
小学生の子供と廊下ですれ違ったら「おはようございます」って言うよ、ちゃんとおはようございますって返ってくる良い子だ。

 

そろそろ鍋をしたい。友達を呼んで、鍋をしたい。でも駅から遠いから友達を呼ぶには相手に申し訳ない気持ちになる。
そうだ、みんなタクシーで来てくれたらいい。来てくれたら「いらっしゃいませ」ってもてなすよ。
お家でたくさんお酒を飲んでもらって、駅までの帰り道は夜風に当たりながら「楽しかったなあ〜」と酔っ払いながら帰ってくれたらいい。
結構いい帰り道を提供できる自信がある。まっすぐだから、酔っ払いにも優しい帰り道。

 

これからも歴史作って行こう。ハッピーバースデー私の家。

徒然草 「下書き」いう墓場の話

SNSで発信するものは、自分ブランディングに過ぎない」と聞いて、
そうソレな〜と共感し、急に窮屈になった。

 

お蔵入りになっている「下書き」が実は結構ある。
感情が高まった時にバァァアァァって書いたやつとか、思いついたこと書いたやつとか、何年か前のものとか。

 

何でこんなエモいの書いたんだろう?みたいなツイートあって、
時刻見たら大体深夜で終電逃したかなんかしたときかな、とか思い出して笑える。

 

 

‪「なんとなく、グレープフルーツはレモンの2番手、という気がする。」‬

 

 

これ、今年の冬に書いてたみたいなんだけど、本当に覚えていない。 

 

 

という、ちょっとした徒然草でした。  

徒然草 駅から家までの帰り道

新居になってからもう2ヶ月。駅から家までの距離が遠くなったけど、色々と物思いに耽るには「いい距離」と「暗さ」なので今はまだ気に入っている。

 

さて、以下は「頭の中を伝える」ことが、やっぱりまだ苦手だ、と感じることが多いの。という徒然草です。(リターンするならスワイプするかホームボタン)

 

もともと、私は対話が苦手なタチで、思ったことを伝えることが苦手。小学生の頃から学級代表や体育委員をして前には立ってはいたけれど、自分が話をすることになったら事前に用意がないと緊張してしまって、友達に「助けて〜ぇ」の目をする。

成人してからは「お酒」というエンジンを覚え、少しは流暢に話せるようになった、けどそれでも思っていることの多分半分ぐらいしか伝えられていない。

 

俗に言う「隣の芝生は真っ青に見える」タチな私は、うまく考えやメッセージを伝えているモノやヒトに心が惹かれる。心音が早くなる。「悔しいドキドキ」をする。悔しいドキドキはそのまま「何で私はうまく伝えられないんだろう」と変身し、「嫉妬」に就任し、「自信喪失」に降格する。負け組感を感じてしまう。

会議でも同じことに陥る。会議中に「これ伝えたい」と思って言葉を発するものの、いかんせん伝え方が下手すぎる。頭の中で整理がしっかりできていないまま言葉を発していると分かっていても、「このタイミングを逃したら一生言えないこの気持ち!」と16歳の告白のように儚すぎて形にもなれない言葉や想いが宙に浮いて、結果として会議室に二酸化炭素と風邪ウイルスを放出するだけの自分になる。要約すると、私は馬鹿だ。

間も怖い。無言が続く間が怖い。何か言葉を発しなきゃいけないと思うけど、「ああ」とか「ん〜」とか、結局、二酸化炭素と風邪ウイルスだけ放出している。馬鹿を移す行為に走っている。

 

そんなことが続き、「言葉を発すること」自体が昨年末をピークに臆病になった。どうせうまく伝えられないなら伝えない方がラクということも一瞬思って、1日だけほとんど意思を伝えることなく仕事をし、そそくさ会社を出た。何してても水圧のような気付かないけど圧迫されている気分だった。

 

言葉を発することが怖いと思っていたら、なんと年末に酒灼けと残り風邪で声が全く出なくなった、これは正直笑えた。心と身体って繋がってるってこういうことかヲイと自分に酔った。

声が出なくなったまま、実家の大阪に帰省し、久しぶりに友達と家族と会った。いろ〜〜〜〜〜んなネタを作って大阪に帰ったのに、声が出ないから伝えられない。偶然そのタイミングで「オレンジデイズ」観てたから、手話を使おうかと思ったけれど、当たり前だろ、伝わらない。友達のボケにツッコミたい、イジられてるのに乗り切れない、みたいなもどかしさを感じ、エンジンだったはずのお酒を入れても、壊れてるからかからない。100パーセントで帰省を楽しめなかった。

 

話は今に戻って、2017年、東京。新居から駅までの道のりはまっすぐだから足を前に出すだけでいいから余計なことを考えない。頭の中で、Aの引き出しからネタを引き出し、あそういえば、とBの引き出しを引っ張る。終いには片付けができないくらい引き出していて、どこがAの引き出しだったか、わからなくなる。そもそも何で引き出しを開けたのかもわからなくなる。

とにかく、どうでもいいことばかり考えるのに帰り道は最適である。特に夜は、暗く、照明がいい感じに足元に落ちていて(下ばっかり見て歩いてる)、考えることを放棄できない。帰り道が楽しいのだ。

でも、考えたことをアウトプットすることが、やっぱり苦労するタチなのには変わりない。なので、2017年はマイペースにでもちゃんと伝えたいことを届けます。辛抱強く、見守っててください。

 

という帰り道の徒然草です。
(冒頭でスワイプしなかったことを後悔し始めている貴方に乾杯!)

 

 

 

 

 

 

 

 

徒然草 2016年の〆

2016年末の計画とか感情とか3分前のことのように思い出せるのですが。2017年って。

 

小さい頃から年末年始は、(幸か不幸か)自分の誕生日の時期と重なってるので、12月から1月のにかけて、心の盛り上がりが凄いのですよ、実は。さりげなく(今でも)誕生日アピールしちゃうような盛り上がりを見せるぐらい。(←いい大人が) 

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 今年祝ってくれたの嬉しくて浮かれポンチの私と苔/////
そもそも気にかけてもらえてることが嬉しいんだろうな〜淋しがりやの目立ちたがり屋さんを兼業しているみたいで私の気持ちは忙しいですよ、年末年始。

 

さて、2016年何があったかな〜と振り返ってみるかとおもったのだけど、「そういえば今、人生初めての経験をしている」ことに気づいたのがこれ。

 

「初めて、家族全員で実家で年越ししてる」

 

…ガキ使にチャンネル変わって、斎藤工の登場辺りに気がついたこれ。
小さい頃から毎年の年越しは、パパの実家の茨城県に遊びに行っていて、すごく田舎の空気がきれいな平屋でコタツぬくぬくしながら年越しはしてたのだけど、
就活が始まった辺りから実家で年を越すタイミングは、地元の友達と飲みに行ってHUBで年越したり大阪城辺りでワンカンで年越してたり、そのまま初詣行ったりしてたから家にいなかった。

話を戻すと、さあ2016年振り返ろか〜と思った時がまさに斎藤工を家で見ている時で、リビングに家族全員いて適当な話して無言でテレビ見てて、また誰かが話してまたテレビ見て。途端、自分の心が騒ぎ始めたのですよ。だって、私の気持ちは年末年始大忙しで生まれて此の方生きてきているのに、実家でゆっくりガキ使って。録画でしかガキ使見たことなかったのに!

 

youtu.be

 

感想。
すげえゆるくて、いい年越しだった。

 

 

もう振り返るのいっか〜おやすみ。(ザ徒然草で〆)

徒然草 人生初のマイハウス、さよなら編

夏の台風は怖いから、みんな気をつけてほしい。

今年の夏、東京にも大きな台風がやってきて、私はその被害を被った。腰窓から水が大量に入ってきて、床が水浸しになったのだ。幸いにも電化製品には雨がしみることがなかったが、床の色は変色するし、本も御陀仏に。なんだか居心地が悪く感じてきて、その日から「部屋の嫌なところ探し」が自然と始まっていた。

 

いろいろ出てきた嫌なところ。中でも結構嫌だったところは「夏の蝉の鳴き声」だ。

家を決めた理由が「目の前に子どもが遊ぶような公園があった」からなのだが、引っ越し初めて×春に探したこと相俟って、ベランダ目の前に大きな樹があることも見て見ぬふりをした。

するとどうだろう、その大きな樹は「蝉の休憩所」じゃないか。「休んでんだよ〜休んでんだよ〜」と泣いて止まない蝉。夜勤のセミもいるらしく、夜中にも「休んでんだよ〜休んでんだよ〜」と鳴く。勿論、「休んでんだよ〜」という鳴き声は私には「ミーンミーン」としか聞こえないのだが。ひどく鬱陶しいかった。

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嫌な思い出縛りで書くつもりもないので、いい思い出もあったことを書く。友達が大阪からお泊りに来たこと、近くのお祭りに行くために一生懸命浴衣を着たこと、アイスクリームをみんなで食べたこと、雪が降って死ぬほど寒かった日のこと、冷蔵庫の中がお母さんからのプレゼントで野菜ジュースいっぱいになったこと、ゴキブリが1回だけ出て死にそうになりながら戦ったこと、なかなか起きれない日があったこと、仕事で凹んで近くの公園で一人ボーッとしたこと、引っ越しの片づけをほろ酔いになりながら友達としたこと。

 

脳内思い出どんちゃん騒ぎの中で、一番の思い出といえば、大阪から上京(上埼玉?)し、引っ越しが完了した日のことだ。

この日はお母さんが大阪から手伝いに来てくれていたのだけれど、終わったということで大阪に帰る支度をし始め、私も最寄り駅まで見送ることになった。

最寄り駅までの10分の間に、お母さんはたくさん心配してくれた。「ここのスーパーは深夜2時までやってるから、夜も明るいと思う」とか「近くにデニーズもあるし松屋もあるし、あんたがご飯作らんようになるのが心配や」とか「この本屋は雑貨も売ってるしペンとかなくしたら買いや」とか「反対側には銭湯あるのお母さんマップで調べたから疲れたら使いや」とか、言い出したらキリないくらい。

最寄駅に着いて改札で「バイバイ」って見送ったけど、なんとなく寂しかったから、近くの駐輪場のフェンス越しに気づかれんようにこっそり見てた。

そしたらお母さん、泣いてんねん。駅のホームで泣いてんねん。私もそれ見て涙こみ上げたけど、喉ぐるぐる鳴ったけど、眉間シワシワ険しくなったけど、とんがり口になったけど、泣きはしなかった。

電車きてお母さん見えなくなって、今までありがとうって気持ちがこみ上げてきて、お家まで散歩して帰った。これが引っ越し完了の日の思い出。

 

 

脳内どんちゃん騒ぎはもうおしまい。とりあえず良くも悪くも思い出たくさんな、いい仕事してくれた、すげえいい家だった。

 

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先週、私は都民になりました。引っ越しました。蝉どもの「休んでんだよ〜」も聞くことないな。ほら↓

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電線に鳥が止まりませんように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

地方な徒然草 熊本編

アメリカで左運転したときに、道路ひび割れてるな〜と思いながらがんばって運転してた。

お仕事で道路のことが身近になった時があって、道路がないと鮮度の高いお魚も食べられないのか〜とか思って結構まじで感謝した入社当時。

お仕事で地方に行くことが多くなって、その土地のことをサラッと調べながら行くのだけど、ここはアメリカかな?と思えるぐらいに酷かった。熊本。

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当然のこと、道路がひび割れてたのは熊本地震があったから。お仕事で熊本の人のお話聞くことあったから震災当時は大変だったと言われてなんとなく納得していたけど、その時に一つ気付いて情けないと思った事があって。

 

最近何か自然災害があっても、

「他人事という意識距離が遠くなった」

 

自分が被災者じゃないからジブンゴト化ができないのは否めないかもしれないが、他人事という意識が東日本大震災より遠くなってる。

 

震災があった時に入学したメディア学科で(もうわかったよ)と言いたくなるくらい震災報道のことはテレビ新聞ラジオ広告あらゆる分野から聞いたし、聞いて何故か泣いてたし。

 

私の結論は、経験を今に置き換えて活かすことしかできないんだろうなーそれがいろんな方法があって、それぞれ頑張るところで頑張るしかなくて。

 

 

熊本の居酒屋で言われたおっさんの一言が悲しかった。

「結局、熊本地震はさ、拡がっても九州でしかジブンゴト化として広まんなくて、それ以外は他人事でしかないわけよ。

みんなジブンゴト化するには、日本各地で災害が起こるしかないんよ〜残念やな〜」

 

やだな。それはやだな。どうしたらいいんだろう。結論なんか出さない、ただそれだけ。

 

地方な徒然草 お父さんの仙台編

9月から11月は出張が続くので、この高知から1ヶ月経たずうちに仙台に行きました。

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 出張ストーリー2、仙台な休日編。

 

私はお父さんが仙台に単身赴任してるので、実家大阪と一人暮らし東京と単身赴任仙台の一家3拠点生活をしている。偶然にも仙台が出張だったので、前乗りして休日をお父さんと過ごした。

 

お父さんは寡黙であまり喋らない。でも相手の言いたいことをすくい取るのがすごく上手で卑下もしない。安定感。子どもからすると安定感はすごく心地よく、母からすると面白くないとのこと。(ドラマ昼顔にハマる理由も正直わかる)

 

お父さんが言葉を発せず、首をすくめ、手首だけクイッと上げて「よっ」ってする姿がすごく好きだ。すごくすごく好きだ。何故かわからないけど胸がトクンと跳ねる。この間実家の大阪に帰った時に、弟が新大阪で車にもたれながら同じように「よっ」と待っていた時は(親子揃って私をドキドキさせてこの野郎め…)と心底、トキめいた。

 

そんなお父さんと仙台駅で「よっ」と落ち合い、早速、車で「御釜」へ向かった。五色岳に囲まれた火山口に雨水とか溜まってるのだけれど、時々沸騰しているらしい。もしも転げ落ちた後、熱湯溺死はやだなと思った。

御釜名物「薄いビニール袋に入れた熱々の焼きとうもろこし」がおいしかった。口の中より手を火傷した。

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その後温泉に行った。待合室でぼーっとしていた時のシーンが忘れられない。みんな畳の上で寝転んだりテレビ見ながら牛乳飲んだりしていて、例外もなく私も父もそれをした。隣では3歳の女の子と8ヶ月の男の子が寝ているパパの周りをぐるぐる回っていた。

可愛いね〜なんて父と話してて、可愛さに我慢できなくなった私はついに8ヶ月の男の子の手を無言で握った。胸がときめいた。父の「よっ」の姿を見たときに似た胸の締め付けられ方。要は、愛おさだ。

おとなしかった8ヶ月(名前わからないからこう呼ぶしかない)を自分の膝の上に乗せ、ほっぺをクイクイと触ったり、いないいないばあをしたり、一人幸せだ〜と口にしながら浸ってたら、父も8ヶ月を可愛いね〜と言いながらクイクイと触ってきた。

途端、無性に父がおじいちゃんになるんだって事実が頭の中に駆け巡った。そうか、私が誰かと結ばれて奇跡にも巡り合ったらこうやって膝の上に赤ちゃんを抱いて幸せを感じて目の前の父がその赤ちゃんのおじいちゃんになって。私も赤ちゃんに「この人がおじいちゃんですよ」と教えるんだ、と思ったら、すごく自分が大人になったのだ、と思った。

 

その晩は仙台に帰り、日本酒交わしながらカウンター寿司を食べ、しっぽりと語ってバイバイした。恥ずかしいから言葉にはしなかったけど、ここまで育ててきてくれてありがとう的な気持ちになった。

 

次の日も仙台だったので、また父を誘って夜飲みに行った。昨日の今日、ということもあり、会った時から少し小っ恥ずかしさを感じながら飲んでたら、テンションが上がり飲みすぎた。

そして記憶を飛ばし、私の仙台出張は終了しました。