徒然草

徒然草

徒然草 駅から家までの帰り道

新居になってからもう2ヶ月。駅から家までの距離が遠くなったけど、色々と物思いに耽るには「いい距離」と「暗さ」なので今はまだ気に入っている。

 

さて、以下は「頭の中を伝える」ことが、やっぱりまだ苦手だ、と感じることが多いの。という徒然草です。(リターンするならスワイプするかホームボタン)

 

もともと、私は対話が苦手なタチで、思ったことを伝えることが苦手。小学生の頃から学級代表や体育委員をして前には立ってはいたけれど、自分が話をすることになったら事前に用意がないと緊張してしまって、友達に「助けて〜ぇ」の目をする。

成人してからは「お酒」というエンジンを覚え、少しは流暢に話せるようになった、けどそれでも思っていることの多分半分ぐらいしか伝えられていない。

 

俗に言う「隣の芝生は真っ青に見える」タチな私は、うまく考えやメッセージを伝えているモノやヒトに心が惹かれる。心音が早くなる。「悔しいドキドキ」をする。悔しいドキドキはそのまま「何で私はうまく伝えられないんだろう」と変身し、「嫉妬」に就任し、「自信喪失」に降格する。負け組感を感じてしまう。

会議でも同じことに陥る。会議中に「これ伝えたい」と思って言葉を発するものの、いかんせん伝え方が下手すぎる。頭の中で整理がしっかりできていないまま言葉を発していると分かっていても、「このタイミングを逃したら一生言えないこの気持ち!」と16歳の告白のように儚すぎて形にもなれない言葉や想いが宙に浮いて、結果として会議室に二酸化炭素と風邪ウイルスを放出するだけの自分になる。要約すると、私は馬鹿だ。

間も怖い。無言が続く間が怖い。何か言葉を発しなきゃいけないと思うけど、「ああ」とか「ん〜」とか、結局、二酸化炭素と風邪ウイルスだけ放出している。馬鹿を移す行為に走っている。

 

そんなことが続き、「言葉を発すること」自体が昨年末をピークに臆病になった。どうせうまく伝えられないなら伝えない方がラクということも一瞬思って、1日だけほとんど意思を伝えることなく仕事をし、そそくさ会社を出た。何してても水圧のような気付かないけど圧迫されている気分だった。

 

言葉を発することが怖いと思っていたら、なんと年末に酒灼けと残り風邪で声が全く出なくなった、これは正直笑えた。心と身体って繋がってるってこういうことかヲイと自分に酔った。

声が出なくなったまま、実家の大阪に帰省し、久しぶりに友達と家族と会った。いろ〜〜〜〜〜んなネタを作って大阪に帰ったのに、声が出ないから伝えられない。偶然そのタイミングで「オレンジデイズ」観てたから、手話を使おうかと思ったけれど、当たり前だろ、伝わらない。友達のボケにツッコミたい、イジられてるのに乗り切れない、みたいなもどかしさを感じ、エンジンだったはずのお酒を入れても、壊れてるからかからない。100パーセントで帰省を楽しめなかった。

 

話は今に戻って、2017年、東京。新居から駅までの道のりはまっすぐだから足を前に出すだけでいいから余計なことを考えない。頭の中で、Aの引き出しからネタを引き出し、あそういえば、とBの引き出しを引っ張る。終いには片付けができないくらい引き出していて、どこがAの引き出しだったか、わからなくなる。そもそも何で引き出しを開けたのかもわからなくなる。

とにかく、どうでもいいことばかり考えるのに帰り道は最適である。特に夜は、暗く、照明がいい感じに足元に落ちていて(下ばっかり見て歩いてる)、考えることを放棄できない。帰り道が楽しいのだ。

でも、考えたことをアウトプットすることが、やっぱり苦労するタチなのには変わりない。なので、2017年はマイペースにでもちゃんと伝えたいことを届けます。辛抱強く、見守っててください。

 

という帰り道の徒然草です。
(冒頭でスワイプしなかったことを後悔し始めている貴方に乾杯!)