徒然草 新年散歩して出会ったシゲさんから考えた、ちょっとした仕事のハナシ
住んでいる都立家政駅に1ヶ月前から古着屋ができた、のを横目で見ながら帰宅していた。
控えめな小さな看板を目にしていたが、なかなか入るタイミングがなく、いつも手前の松屋でご飯を食べて帰宅していた。
さっき、クリーニングを取りに駅前に向かっている途中に思い出し立ち寄ってみた。
入ってみたら、まあかなりドンピシャな古着が集まっていて、音楽も内装も最高にドンピシャだった、そしてとても暖かかった。
すうぅっと息を吸ってなんとなくお洋服見ていると、奥から店長さんが、最近歯医者でよく見る小さな紙コップを片手にやってきた。
「ルイボスティー、好きですか?よかったら。」
とまさかのウェルカムドリンク。感じが良いお兄さんだ。少し気を張っていた分、拍子抜けし私もほろっと笑顔に。
シゲさんという店長さんは「古着」を介して“コミュニケーション”をしていきたい、と決め、最近、脱サラしたお兄さんだった。
古着屋さんは新品の服屋さんより、個性が出やすいようだ。世の中に服がありふれてる中でも、逆行して古着を探すという行為自体が店主の好みや考えがドストレートに反映されるからだ。
だからこそ来るお客さんはルミネや伊勢丹で新品の服を見るより、服や服の物語までもちゃんと見る人が多い。
その服達とお客さんの好みが合わないとそれまでの関係性。だけど、そこがドンピシャにハマると、より深い「何かがカチッとハマる音がする」関係性になれるみたいだ。
シゲさんは、古着で自分を表現し、お客さんと会話してそこから広がる化学反応を楽しみたいから、仕事を辞めてまでもこんな都立家政駅という辺鄙なところに店を出したのだ。
そんな話を聞きながらウェルカムドリンクのルイボスティーが無くなってきたところで、シゲさんが「新年なんで」と金箔入りの祝酒を出してきた。ではしめしめ…とルイボスティが入っていたコップを差し出し、会ってすぐの人と盃を交わした。横にはハッピーニューイヤーと書かれた花があった。
私も背負っていたカバンを床に置き、またしばらく話し込んだ。店内はヤフオクで買った流木に掛かった古着たちが不安定そうにゆらゆら揺れていた。
お店、何時までやってるんですか?と聞くと「毎日23時までやってます」とのこと。ここは下北沢か、とツッコミつつ理由を聞くと「大人は22時以降が楽しい」とのこと。
確かに、22時以降の駅にはいろんな人がいる。
酒に酔ってふらふらしている人や、残業でふらふらしている人。人間に会いたいし集まる場所にしたいから、23時までお店を開けるようだ。
なんだか、安心した自分がいた。
「お金なくてもいいし、ふらふらでも来てくださいね」と言ってもらって、そういう温もりのある場所を構築する人って、超優しいと思った。そういう両手を広げて待ってくれる場所って、超優しいと思った。
「そういえば、甲本ヒロトも言ってたんですよ」とシゲさんは続けた。
「昔ライブに行ったときに、甲本さんが言ったんです。“ 俺はステージと客席には、見えないドアがあると思ってる。ステージからドア開けてずっと手を差し伸べてるから、いつでも掴んでこい。”…僕もそんな古着屋さんに、していきたいんですよね〜。」
…シゲさん良いですね、超素敵です。と語彙力なくでもシンプルに言葉が出ていた。「でもなかなか宣伝うまく行かなくて、PR手伝ってください〜涙」と言われたので、もちろん!とお返事をした。
まだまだシゲさんは甲本ヒロトにはなれないかもしれないけれど、
ステージと客席の間を狭く工事すること
ステージと客席の間に橋を掛けること
ステージと客席の間を狭く魅せること
きっといろんな方法があって。それがPRのお仕事と通づるんじゃないかなって。シゲさんをちょっと早く甲本ヒロトに導くことはできるかな、と思っている。 …って生意気にちょっとシゲさんに言ってみたら、とても嬉しそうな顔をしていたから、明日からの仕事も、ちょっと楽しくなった。
HIBIWA、是非行ってみてください。
さて、新年、あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いしますね。
徒然草 ディズニーの備忘録
お母さんが大阪から遊びに来た。
東京駅で待ち合わせをして、改札から出てくるお母さんを見たときは
前日のお酒がかなり残っており、私はまだ酔っ払っていた。(すぐ二日酔いがバレた)
同時にお父さんも仙台から1日だけ遊びに来た。(こちらもすぐ二日酔いがバレた)
その日は観光したりご飯を食べたりうろうろしていたが、
昼から飲むのが好きなお母さんとお父さんは「ビール」という言葉に財布が緩む。喉が鳴っている。
私はそれを見ながらオレンジジュース、ペリエを繰り返していた。胃が元に戻らない。
父は仙台に帰り、お母さんが家に泊まった。
「ほんま朝早なってん。ごそごそするけど許してな〜」と言われ、「ん」だけ返して寝た。
次の日、確かに6時には起床していて、珈琲を淹れたり掃除をしてくれたり布団畳んだりと
忙しく狭い部屋をうろうろしていた。(のを私は布団から見ていた)
約束の起床時間になり3度寝していた私も起き、ディズニーシーに行った。お母さんからのリクエスト。
通勤時間とだだ被りだったため、バスタ新宿からディズニーシー行きのバスに乗って向かった。
後ろの席が大阪のギャル二人で、見事なゲス話を大声で披露。これじゃあ通勤電車の苦痛と変わらないじゃないか。
到着する直前、お母さんがはしゃぎ始めた。
「あかん、これは、アガる」
“アガる”なんて言葉使うんや〜と言いながらも私も内心かなりアガっていた。
「チケット買わなな〜」とはしゃぐお母さんを横目に「ほら」と渡す。
前もって取っておいた会社のコピー機で印刷したA4サイズのチケット2枚。
「え〜取っといてくれたん!ありがとう〜!」
よし、段取り完璧だ。
入っていきなりミッキーと出くわす。
「あかん、アガるわ〜!アガるわ〜!」
ミッキーの段取り完璧だ。
天気もよかったから、ベネチアの水面が光る。(シーの中)
とりあえずファストパスは取っておけば良いんでしょ、というノリで取ったニモのアトラクション。
そのあとにインディージョーンズ取りに行こう、としていたのだが、ファストパスのルールを忘れていた。
< 1つ取ったら、次取れるのは2時間後 >
わあああああ。段取り失敗。結局インディージョーンズは乗れなかった。
っていうか、アトラクションは300分待ちがほとんどで、並ぶのが嫌いな弊親子は並べなかった。
結局、「アトラクション以外をを全て制覇する」という遊びになった。
「思ってたより混んでたし、アトラクションはしゃーないよ」
そうやって母は言うが、私はだだ凹みだった。
朝早くごそごそしていたお母さんを横目に3度寝していた自分を恨んだ。早く出ておけばよかった。
ファストパスの取り方を調べていなかった自分を恨んだ。チケットを取って満足するな。
親の前ではどうしても全部さらけ出してしまう。
テンションが下がったままアゲることがうまくできず、
シーを出て、六本木ヒルズに。東京を一望するも、
スカイツリーを見つけることができず、またもや悶々としてしまった。
次の朝、お母さんが帰った。
駅で何度も振り返って手を振るお母さんに、ミッキーばりの笑顔で見送った。
帰り道、「あんたとおったら何でも楽しいから、そんな気張らんで」とラインがきた。
次の日、「あんたに買ってもらったミッキーのコップ、珈琲美味しく感じるわ」とラインがきた。
また次の日、「お婆ちゃんとランチしてた時にディズニーの話したら
“ええ娘になってくれたな〜”ってお婆ちゃんが泣いてたよ」とラインがきた。
次は朝イチでディズニーでリベンジしような、お母さん。
徒然草 幼馴染のゆり子(年賀シリーズ)
東京の自宅に帰ったら、年賀状がいくつか来ていた。LINEやらmessengerやらで済ますご時世に有難い。
書くネタも特になくてでも何か表現したかったので、とりあえずいただいた人のことについて、少し書いてみることにする。
・幼馴染のゆりこ
「年賀状が戻って来た」という連絡と私がゆりこの家を訪ねたのはナイスタイミングだったっぽい。手渡しでもらった。
ゆり子は、小学校からの幼馴染で家も歩いて1分のところになるのだが、高校~大学は特に連絡も取っていなかった。ところが社会人になって急に連絡がきて「結婚することになったからつきましてはスピーチを」なんてお願いをされたもんだから、正直びびった。
無事に結婚式も終わり、ホッとして東京に戻っている時に「スピーチが両家にウケた」と聞いて、大事な場面に頼ってくれて嬉しいなと思った。
それから全く会えなくて、いつのまにかベイビーちゃんも生まれてきて、会いたいのにタイミングが会わずに一年が差し掛かった時のことだ。
Instagramでベイビーちゃんが“先天性 筋ジストロフィー”だということを知った。すぐに連絡したけど「大丈夫、心配しないで」との返答。私は既読をすぐにつけるけれど、返信で大した与力にもなれず、彼女の不安定な言葉が並ぶSNSを見てジレンマのまま日が過ぎていった。
やっと会えたのが、手渡しで年賀状をもらった今年の年始だった。結婚式以来だったのもあって、彼女の家に入ったときは謎のテンアゲモードで行ってしまった(恥ずかしい)
幼馴染は、「肝の座ったママ」をやっていた。ベイビーちゃんもむちゃくちゃ可愛い。むちゃくちゃクァワイィ。。。抑えていたテンアゲモード再来。
全然会ってなかったから、ゴミみたいなチリツモ話~真剣話までノンストップで4時間お話した。その中で、筋ジストロフィーのお話を聞いた。もうすぐ新薬が承認されそうで、セミナーに行っているとのこと。私も仕事で医療業界をやっていたこともあり、少ない経験を話していて、ふと顔を上げた先のママは、目をキラキラさせて耳を傾けてくれた。
今すぐ助けたいと思った。助けるだなんておこがましい…という言葉を並べたくなるけど、本当に今すぐ助けたいと思った。
医者でも何でもないけれど、今すぐ救いたいと思ったし、それはベイビーちゃんだけじゃなくて周りの家族や携わるドクターとか周辺環境を丸ごと助けたいと思った。こういうのは、自己満がものを言う世界なのだとも思う。(某映画祭を担当していた時も思っていたが)
話はぶっ飛ぶが、今年はもっと自己満足できるようなことをしたいから、思ったことはいろんな人に伝えてみようと思うのです。うじうじしていないで、気持ちを表に出そうと思う。今、自分が満足できることの一つは「ヘルスケア分野を片足でもいいから突っ込んでいたい」。筋ジスではなくても、ヘルスケア業界の情報環境には浸かっていたい。そして、ゆり子の日常に変化をもたらせるようなことをしてあげたい。
少しでも良い変化を作っていけますように。よし、明日からも、頑張りましょう。
徒然草 大阪のおじいちゃん(年賀シリーズ)
東京の自宅に帰ったら、年賀状がいくつか来ていた。LINEやらmessengerやらで済ますご時世に有難い。
書くネタも特になくてでも何か表現したかったので、とりあえずいただいた人のことについて、少し書いてみることにする。
・大阪のおじいちゃん
一番の達筆。実家にいた時も、埼玉に住んでいた時も、東京に住所を変えた今年も、毎年毎年送ってくれる。
毎回出張で大阪に帰るときは必ず顔を出すようにしているけれど、最近明らかにおじいちゃんの認知症が激しい。
出世欲がありバックボーンを気にするおじいちゃんだから、小さい頃から「いい学校に進学するんだよ」「いい会社に就職してや」とかよく言われて来た。うちの家系では珍しいタイプだったから、小さい頃は苦手意識があった。
先日の帰省でもおじいちゃんに会ったのだが、認知症が進んでいることもあり、私が東京で働いていること以外は出鱈目ばかりで、おじいちゃんの妄想の中で理想の私が生き続けているようだ。結構すごい人になってるっぽい。
今回の帰省で一つホッとしたことがあった。おじいちゃん家のドアを開けた時のことだ。
「おじいちゃん帰ってきたで~」
「お~おかえり~また背伸びたんちゃうか」
「高校から伸びてへんで~」
たわいも無い会話だけど、ふと思い返せば、毎回帰省するたびに「身長伸びたな~」やり取りをしていたことに気づいた。こちとら高校からめっぽう伸びていないので、毎回同じ回答をするのだが、それでも飽きずに(ボケて)聞いてくるあたり、きっとおじいちゃんの頭の中で、「孫の成長=身長の伸び」という物差しがあるんだろう。
「成長の物差し」に触れることは、大人になったら専ら「仕事の成果」の上でしかない。だから、息がつまることも多かったし、特に2017年は苦しかった。
だからおじいちゃんとの会話のような身内の物差しは、暖かくてホッとする。こういう風に自分を見てくれる人をずっとずっと大切にしていきたいと思うのです。
徒然草 ハッピーバースデイ
引っ越しして1年経った。
私に出会う前、1年前のこの家は新築のゼロ歳。何人もの人が内見して「収納が少ない」とか「駅から遠い」とか「エレベーターから遠い」とかいろんな理由で選ばれなかった。そこを拾ったのが私だ、我ながら良い判断だった。
今、ここに流れてる空気は私だけの歴史。新築だったから、壁も床もドアについた指紋も、全部私だ。床の隅の方にいる埃も、私が育てた。傷がついたお風呂も、私が育てた。IHに油がついた台所も、私が育てた。
お鍋もIH可のものに変えたし、クッションも一歩も動かなくなるような最高に最悪なものを買った。
家の中の定位置も決まってきたし、酔っ払って帰ってきた時の自分の解放の仕方もわかった。
照明の色は絶対オレンジだって決めたし、カーテンの一番右が外れていることも知ってるけど直していない。
本は最近山積みだし(結構な高さ)、エアコンもたまに自動掃除してくれる(10回に1回エアコンから「フィルターのお掃除を開始します」と声が聞こえてくる)。
宅配ボックスから荷物取るの忘れたから明日取る予定だし、そういえばポスト見てくるの忘れたから明日見なきゃいけないと思っている。
ゴミを出したら管理人さんが「いってらっしゃい頑張って」って言ってくれるから「は〜い」ってちゃんとお返事する。
小学生の子供と廊下ですれ違ったら「おはようございます」って言うよ、ちゃんとおはようございますって返ってくる良い子だ。
そろそろ鍋をしたい。友達を呼んで、鍋をしたい。でも駅から遠いから友達を呼ぶには相手に申し訳ない気持ちになる。
そうだ、みんなタクシーで来てくれたらいい。来てくれたら「いらっしゃいませ」ってもてなすよ。
お家でたくさんお酒を飲んでもらって、駅までの帰り道は夜風に当たりながら「楽しかったなあ〜」と酔っ払いながら帰ってくれたらいい。
結構いい帰り道を提供できる自信がある。まっすぐだから、酔っ払いにも優しい帰り道。
これからも歴史作って行こう。ハッピーバースデー私の家。
徒然草 駅から家までの帰り道
新居になってからもう2ヶ月。駅から家までの距離が遠くなったけど、色々と物思いに耽るには「いい距離」と「暗さ」なので今はまだ気に入っている。
さて、以下は「頭の中を伝える」ことが、やっぱりまだ苦手だ、と感じることが多いの。という徒然草です。(リターンするならスワイプするかホームボタン)
もともと、私は対話が苦手なタチで、思ったことを伝えることが苦手。小学生の頃から学級代表や体育委員をして前には立ってはいたけれど、自分が話をすることになったら事前に用意がないと緊張してしまって、友達に「助けて〜ぇ」の目をする。
成人してからは「お酒」というエンジンを覚え、少しは流暢に話せるようになった、けどそれでも思っていることの多分半分ぐらいしか伝えられていない。
俗に言う「隣の芝生は真っ青に見える」タチな私は、うまく考えやメッセージを伝えているモノやヒトに心が惹かれる。心音が早くなる。「悔しいドキドキ」をする。悔しいドキドキはそのまま「何で私はうまく伝えられないんだろう」と変身し、「嫉妬」に就任し、「自信喪失」に降格する。負け組感を感じてしまう。
会議でも同じことに陥る。会議中に「これ伝えたい」と思って言葉を発するものの、いかんせん伝え方が下手すぎる。頭の中で整理がしっかりできていないまま言葉を発していると分かっていても、「このタイミングを逃したら一生言えないこの気持ち!」と16歳の告白のように儚すぎて形にもなれない言葉や想いが宙に浮いて、結果として会議室に二酸化炭素と風邪ウイルスを放出するだけの自分になる。要約すると、私は馬鹿だ。
間も怖い。無言が続く間が怖い。何か言葉を発しなきゃいけないと思うけど、「ああ」とか「ん〜」とか、結局、二酸化炭素と風邪ウイルスだけ放出している。馬鹿を移す行為に走っている。
そんなことが続き、「言葉を発すること」自体が昨年末をピークに臆病になった。どうせうまく伝えられないなら伝えない方がラクということも一瞬思って、1日だけほとんど意思を伝えることなく仕事をし、そそくさ会社を出た。何してても水圧のような気付かないけど圧迫されている気分だった。
言葉を発することが怖いと思っていたら、なんと年末に酒灼けと残り風邪で声が全く出なくなった、これは正直笑えた。心と身体って繋がってるってこういうことかヲイと自分に酔った。
声が出なくなったまま、実家の大阪に帰省し、久しぶりに友達と家族と会った。いろ〜〜〜〜〜んなネタを作って大阪に帰ったのに、声が出ないから伝えられない。偶然そのタイミングで「オレンジデイズ」観てたから、手話を使おうかと思ったけれど、当たり前だろ、伝わらない。友達のボケにツッコミたい、イジられてるのに乗り切れない、みたいなもどかしさを感じ、エンジンだったはずのお酒を入れても、壊れてるからかからない。100パーセントで帰省を楽しめなかった。
話は今に戻って、2017年、東京。新居から駅までの道のりはまっすぐだから足を前に出すだけでいいから余計なことを考えない。頭の中で、Aの引き出しからネタを引き出し、あそういえば、とBの引き出しを引っ張る。終いには片付けができないくらい引き出していて、どこがAの引き出しだったか、わからなくなる。そもそも何で引き出しを開けたのかもわからなくなる。
とにかく、どうでもいいことばかり考えるのに帰り道は最適である。特に夜は、暗く、照明がいい感じに足元に落ちていて(下ばっかり見て歩いてる)、考えることを放棄できない。帰り道が楽しいのだ。
でも、考えたことをアウトプットすることが、やっぱり苦労するタチなのには変わりない。なので、2017年はマイペースにでもちゃんと伝えたいことを届けます。辛抱強く、見守っててください。
という帰り道の徒然草です。
(冒頭でスワイプしなかったことを後悔し始めている貴方に乾杯!)