徒然草

徒然草

徒然草 当たり前だけど難しかったコトが、ひとつ、クリアになりました。

「時間をもらうと、何を考えるのだろう?その時に考えていることが、きっと今一番楽しいことなんだろうな」

 

忙しいながらもそんなことを考えていた中、ちょっと色々あって仕事を休むことにした。簡単に言うとキャパシティオーバーだった。ずっと不安に思っていたことが、面にも出始めて、こりゃちょっとアレおかしいなーと思っていて、休みをもらうことにした。(会社の人柄で病んだ訳ではないから、むしろ会社の人には感謝している)

 

偶々、京都で仕事があった最中の話だったので、タイミングよく実家に帰省。実家ではお母さんが一人いて、ずっと話を聞いてくれた。うんうん、聞いてくれたのと同時に、自分の本質と合わせてこうしたらいいのでは?とそっと言ってくれたのは、本当に帰省してよかったなと思う、やっぱりお母さんやな。

 

帰省している間は、お母さんはパートに出ていたりもしたので、だらだら大阪のテレビをみてホッとしていたり、潰れてしまうSTANDARD BOOK STOREに何回か通ってひたすら本本本。(マジで一番潰れて欲しくない本屋さんだった、青春をありがとうございましたm(_ _)m)

この本屋さんは、流行りに乗らず、店員さんが読んでほしいを、店内でなんとなくカテゴライズして販売している本屋。カテゴライズされているのは、デザインや旅行、詩集や大型コミック、時には著名人括りで本棚をがっつり構えていたり。その中で、入店当初の私が無意識に足が向かっていたのは「どうしたら仕事がうまくいくのか?XXXX式の働き方(仮)」的な自己啓発カテゴリの本棚だった。きっと、頭の中で「どうにかしないとあかん」っていう焦りがあって、答えを本の中に求めていたんだと思う。

この本屋は試し読みが際限なくできるので、いくつか自己啓発本を取って隣のカフェに持ち込み読んでみたものの、びっくりするほど目が動かない。違うことを考えてしまう。…なんてことが何度かあった時にはもう、「答えを求めて本選ぶのやーめよ」と気づき、すぐ棚に返したから何を読んだのかさえ覚えてい無い。

 

それからは色んなジャンルから本を手にとってペラペラめくって読んでみた。中で、デザインのカテゴリからとった本がコチラ↓

「こといづ」著者:高木正勝

https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/41PIvrL9VNL._SX357_BO1,204,203,200_.jpg
https://www.amazon.co.jp/dp/4863241291/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_U_5X9GCbMPAVHFJ

高木正勝”ってどっかでみたことがある字面だなーと思いつつも詳しく知らなかったけど、調べてみると、超ー有名音楽家&映像作家さんで、細田守の映画はほぼこの人が作曲していたり「自然や人間っぽさ」を音楽で表現するのがものすごく上手い人らしい。私が偶々手にとったのは吉本ばななが帯を書いていたからで、読み進めていると、彼が団地から田舎に移住した先の出来事が書かれているエッセイだ。(ソトコトの連載を集約している、と言うのでなんとなく雰囲気が伝わるだろうか)

言葉がスルスルと入ってくるのは、きっと、彼創作の何とも言い難いオノマトペが多いからだと思う。さっきも言った通り、この本屋は“試し読み”ができる本屋だ。その場で読んで、読み終わったら返せばタダで読める。だけど、最初の章「なつかしや、わがともよ」のあるフレーズを読み終えて、この本はきっとターニングポイントになるエッセイだなと思って、お財布を持って新品を取りに行き、購入した。
読んでいて「うう」と漏れていたのを抜粋だけさせていただく。

(中略)“今”を行きている僕はどれくらいきちんと「自分」でいられているのだろう?いらない「自分」を置き去りにした分、身軽で見栄えのいい大人になったのはいいけれど、随分生き方が狭くなってやしないだろうか。大人になるためにその都度捨ててきた「自分」は、いったいどうしているのだろう?どうやったら、閉じてきた蓋を開け、捨ててきた「自分」を全部取り戻せるのだろう?
こといづ「なつかしや、わがともよ」より引用

 自分のその時の事態がこれほどまでに仰々しく語れるものなのか、はさておき、前後の行間も含めたこの言葉は、慌てて買い足した付箋シールをペッと貼っている。詳しい感情はここでは書くのをやめておく。

 

 

本を読むことさえできなかった、寧ろ、文字を読むことさえ煩わしいと思っていたのがちょっとだけ前の自分には、正直もう戻りたくない。それは、本が読める読めないっていう問題ではなく、「心身の余白の有無」がここでいう実体験から学んだ問題点だった。ちょっと前に大学の友人が「仕事が終わってそのままスーパーに行って買い物をして、ご飯を作って食べさらい、余った時間は自分の時間にするのが一番幸せだ」って言っていたのを思い出した。あの時、正直「今の年齢でそれをするのは勿体無い、忙しい方が満たされる」と思っていた反面「私もそうありたい」と羨望の眼差しで彼女を見ていたんだと思う。今は、彼女の考え方に、倣いたいと考えている。

 

ただ、そう在りたい、と願いつつもなかなか叶わないのが現実の話で。きっと仕事に戻ったら仕事量は減りつつも増え続けるだろうし、なかなか自分の時間というのが取れないんだろうなと思うし、量では無いまた別の問題(寧ろこっちのが本題だったりはする)も上がってくるからそれはそれで時間がかかるところではあるし。今は、このふと湧いて出てきた休暇を満喫すること、そしてこの先長い時間を「感じ良く生活していくこと」のための準備運動だと思って我儘に生活している。

 

「時間をもらうと、何を考えるのだろう?その時に考えていることが、きっと今一番楽しいことなんだろうな」

 冒頭でのこの言葉。ちょっと前までの自分だと、仕事のコトだったと思う。
だけど今は「興味が湧いたままに考えを進める」ようになったので、つまりは
仕事よりも「自分の生活」を考えられるようになったんだなーと。

 

当たり前だけど難しかったコトが、ひとつ、クリアになりました。
ワタシがワタシをつまらなくするのはもう辞めます。

 

という徒然草