徒然草

徒然草

徒然草 ニーゼロニーゼロ、最初の置きメモ

突然だけれど、そもそもわたしは「東京オリンピック」に何か仕事で携わりたくて上京したのだ。会社の面接でも言った。

 

そんな年が遂に来てしまった、2020年。あけましておめでとうございます。

2020。「ニー ゼロ ニー ゼロ」と時折ニュースやバラエティで言ってたりする。

この響きに違和感を持つし、誰がこんな「日本語↔︎英語」で言い出したのかもわからないけど、このごった混ぜで雰囲気かっこよく取り繕ったのがわたしは好きだ。写真でポーズをとる掛け声にしてはどうだろう?(^皿^)(^◎^)(^皿^)(^◎^)

 

東京オリンピックに携わりたい」だなんて、いま考えたらとても漠然としている。何をもって携わるなのか?きっと今の自分の環境だと、こうじゃ無いかなーと思う気持ちの整理ができた、それは、

いま私が思い浮かべた数十人ぐらいが、健康とか命とか、生きるとか死ぬとか考えるきっかけ作るコトじゃ無いかなーって思ったのです。それも、「思い出」として。

 

思い出として、ってのが実は一番言いたい事なのかも。それくらいその人の中では強烈で粘り高く在り続ける、しかもオリンピックの感動や闘争心、ワクツクの渦で。

 

スポーツで胸が揺さぶられた後って、ふと我に帰ると思うんですよ、スーンと冷静な自分がいませんか。その冷静になった瞬間、何を思い浮かべますか?自分の人もいるし、友達、家族、隣の家のおじいちゃん、、、

 

私はその時、少なからず大切な人思い浮かべると思うんすよ。

その瞬間に、わたしは携わりたい。

その瞬間の気持ちにわたしが良いと胸を張るものや人を添えたい。

 

なんか言い回しくどくなったけど、感動の後、感動のままで終わらせたく無いってことですかね。日常に帰った瞬間に電話したくなる人がいて、その話のネタに使ってもらえれば、嬉しい楽しい。

、、とまぁ、わたしなりの「オリンピックに携わりたい」はここかなーと思い、それこそ徒然草っぽく布団で半目になりながらメモしました。また清書するかもね!

 

さて、こちらも最後に令和初の置きメモを。

・仕事において、抽象→具体→応用の反復整理する時間を設ける。(去年全然できなかった)

・で、自分なりの設計図を3つほどカタチにする。

・圧倒的な効率化。(本当に残業したくない)

・そのぶんプライベートに費やす。費やし方はその時々の気分で決めて良し。(だいたい好きなものわかってきた)

・だけど今年は「巡り合い」に繋がる空間に積極的に身を置く(去年は深く密になれたと思っている)

 

 

・無理しない。程よく力を抜く。(去年滅入ったのを教訓に)

 

 

 

 

おやすみなさいー。